10代のころからファッションモデルとして活動し、一躍“赤文字”系のカリスマ的存在となった押切もえさん。現在は一児の母として子育てと仕事を両立する多忙な日々のなか、ますますその輝きを増している。

12月29日には41歳の誕生日を迎えるという彼女に、美容への向き合い方、20代・30代からの変化についてもうかがった。(2/3)

ーー20歳でファッション誌『CanCam』の専属モデルになり、美容やメイクは変化しましたか?

メイクは濃かったですね。アイメイクもそうだし、雑誌では“すべてを強く見せる”役まわりだったというか。衣装にしても、「あなたはデニムね」って言われることが多かったですし、アニマル柄とか濃い色の担当でしたね。パステルカラーが回ってくることはなくて、「あれ? 私、ムラサキ色率高いな……」と内心、思っていました(笑)

ーー20代に美容面で気をつけていたことはありますか?

睡眠時間が少なかった時代です。撮影で日差しを浴びることも多かったし、海外ロケでは、南国の海辺で長時間、水着姿でいることもしょっちゅうでした。

直射日光と白砂の反射で焼けるのに、さらにレフ板を当てられているような(笑)。でも、仕事のときはきちんと割り切っていて、撮影後に肌を鎮静化させるようなケアをしていました。

ーーモデル仲間と美容の情報交換をしたりも?

私自身、いろいろ調べるのが好きで、肌がきれいな先輩モデルさんのインタビュー記事を読みつくして、ケア方法をマネしていました。まわりの人が「肌荒れしちゃった、から揚げ食べすぎたせいだな」と話しているのを聞くと、こっそり「から揚げか、気をつけよう」と思ったり。

ーーかわいらしい(笑)

一時期すごくハマったチョコレートがあったんです。日課のように食べていたので、そのときはさすがに吹き出物ができましたね。

海外から輸入された甘じょっぱいチョコレートバーで。もともとジャンクフードが大好きだったんですよ。でも、プロのモデルになってからは、ずいぶん意識が変わりました。一緒にお仕事をしたモデルさんたちが食事するところを見て、「あれ? そんなに食べないもの?」「ごはんの前に野菜を食べるんだ?」と知って、自分自身も実践するようになりました。

ーー私たちから見れば押切さんはずっとプロのモデルでしたが、ご自身でプロを意識した時期があったんですね。

高校時代の読者モデルのときは、プロ意識なんてなかったです。

周囲もそうでしたからね。もっと自由な感じで、たとえば事務所に所属していない人たちは、早朝の撮影現場に来ないなんてことも珍しくなかった。5人くらい呼ばれていたのに、行ってみたら私ひとりしかいなくて、「え、誰も朝起きないの!?」という日も(笑)。スタッフさんに聞いたら、「全員そろわないことを見越して、多めに声をかけているんだよ」と。だから、全員が来たらロケバスに乗り切らないこともありましたね。プロ意識が芽生えたのは、『CanCam』に専属モデルとして入ってからです。

ーーどんなふうに意識が変わったんですか?

しっかりやらないと次がない、ってことに気づいたんです。10代後半になって仕事が減って、ティーン誌より上の世代の雑誌から呼ばれないなあと思って。それからですね。自分でも「意識を変えないとダメだ!」と、いろいろなことに気を配るようになりました。

ーーそこからの失敗談はなさそうですが。

いや、でも、油断して太りすぎちゃったこともありましたよ。

山田優ちゃんたちと沖縄ロケに行ったとき、土砂降りの雨がやまなくてロケバスで待機している間、私、ず~っと食べていたんですよ。ソーミンチャンプルーとか、サーターアンダギーとか、ふだんあまり食べない沖縄料理ばかりだったので、「おいしいねえ」なんて言いながら。そうしたら、水着撮影のときにおなかがぽっこり出ちゃっていて。あとで編集者に呼び出されて、「この写真、どう思う?」と指摘されて、「おなかが出ていました!」「すみません!」って平謝りしました。

ーーモデルさんへの呼び出しがあるんですね。

はい、私なんて、すぐに呼ばれていました(笑)。

スタッフさんから「もえ、今日撮影した写真を全部見て」と言われて、ルーペをのぞいていると、「自分だったらどれがいいと思う?」と聞かれるんです。「これとこれです」と答えると、「プロは全部OKのほうがいいんだよ」とアドバイスされて、初めてハッとするんです。「勉強してきます!」と謝って、家に帰ってからひたすらポージングの練習をする、という感じでしたね。

ーー周囲にもまれて成長した時期だったのかもしれませんね。

スタッフさんにも、モデル仲間にも、もまれたというか、刺激を受けました。すごくいい時代でした。

ーー時代的にはイケイケだった印象もありますが。

当時の映像なんかを見ると、そう思います。イケイケでしたね、はずかしいくらい(笑)。でも、キラキラした部分だけではなかった。実際は、日々打たれては強くなるような感じで成長していました。へこたれずに、光を求めて上に伸びていこう!って。

(インタビュー後編へつづく)