【前編】「わが家よりもここで死にたい!」“看取りの家”「ぽらりす」代表・岡田美智子さんより続く

茨城県つくば市の介護型サービス付き高齢者向け住宅「ぽらりす」。介護福祉士の岡田美智子さん(69)は、この施設の代表である。

2004年に開業した「ぽらりす」。入居した人たち皆が皆、「ここで最期を迎えたい」と話し、地域の医療従事者たちも「理想的なついのすみか」と口をそろえる。その理由は、ルールやマニュアルで入居者を縛り付けない家族的な運営にある。昨今の施設では当たり前のように見受けられる各部屋の扉をロックする電子錠もない。岡田さんが作り上げた、いまどき珍しい“ゆる~い”施設は海外メディアが取材に訪れるほど、国内外から注目を集めている。

■逃げてしまった介護業者。

置き去りにされた3人の高齢者を引き受ける形で船出した

岡田さんは1953年、茨城県土浦市に2人姉妹の長女として生まれた。1歳下の妹が生まれてすぐに両親は離婚。姉妹は母の女手ひとつで育てられた。

中学時代の夢は「保母さんになること」。しかし、貧しい家の事情を知る岡田さん、「高校に行きたい」とは、なかなか言い出せなかった。

「そんなとき、中学の先生が教えてくれたんだ。

『岡田、昼間働いて夜、通える高校があるぞ』って」

こうして岡田さんは、県立高校の夜間部に4年間通った。

「昼間、働いてためたお金で、本当は保育を学びに短大に進みたかった。だけど、こんな私でも『好き』って言ってくれる男が現れてさ。しかも、貧乏なうちみたいなとこに『婿に来る』とまで言ってくれて。それで高校卒業後、19歳のときに結婚したんだよね」

長男、次男と子宝にも恵まれた。しかし、次男を妊娠中に、夫の女性問題が発覚し、岡田さんは実家に。

28歳で正式に離婚した。

「養育費もなんもくれなかったから、私が働くしかないじゃん。パート勤めもやったけど、あのころ400円ぐらいだったかな、時給。とてもじゃないけど子ども2人、育てていくのは無理だよね」

そこで、岡田さんは土浦一の歓楽街・桜町に足を踏み入れた。

「嫌だったな~、最初は、水商売。始めたころは、お客さんに手を握られたりするの、本当に嫌だった」

子どもを育て上げるため、と覚悟を決めた母は強い。

4坪半の小さな小料理屋を皮切りに、もうけを出しながら、店の規模を次々と大きくしていった。およそ20年後、4店舗目に営んだのは33坪もある大きなスナック。母は、いつしか街の名物ママになっていた。

「大変だったこと? いっぱいあるよ。閉店後まで居座ってた客になぎ倒されて犯されかけたこともあったし、首絞められたこともあった。だけど、逆にお客さんたちに救われたことだって、もちろんたくさんあったんだよ」

やがて子どもたちは、それぞれ専門学校を卒業し成人した。

同じころ、水商売を続ける岡田さんの身を、いつも案じてくれた叔母が、52歳の若さで早世してしまう。

「がんだったんだけどね。がんが見つかって、あっという間に。ものすごく、ショックだった」

悲嘆する岡田さん。その目に留まったのが、ある新聞広告だった。

「介護ヘルパー講習会の告知だったの。

私はもともと保母さんになるのが夢だったし、ずっと、誰かの役に立つ仕事がしたかった。もちろん水商売だって、役には立ってるんでしょうけど。ちょうど子育ても終わったところで、これからはお年寄りのお世話をするのもいいな、って思ったんだよね」

すぐに応募した。ひときわ派手な受講生は数カ月後、ヘルパー2級の資格を取得。このとき、岡田さんは44歳だった。

その後、社会福祉協議会の有償ボランティア、さらに介護施設に勤務する形で数年間、ヘルパーの仕事を続けた。

そして2004年。あるビルのオーナーが岡田さんに泣きついた。聞けば、借り主の介護業者が、そのビルに3人の高齢者を置き去りにして、逃げてしまったという。

「『同じビルで介護施設を引き継いで、やってくれないか』って頼み込まれて。いやぁ、迷った。私にはまだ、勉強が足りないとも思ったし。いや、でも困ってるわけだよ、3人のお年寄りが。困ってる人を前にして、ぶん投げることできないんだ、私の性格は。それで、独立するのはいまなんかな、とプラス思考でいくことにした」

こうして、思いも寄らぬ形で、岡田さんの「ぽらりす」は船出の時を迎えたのだった。

■関わり合いになりたくないと思っていた根性悪のタミちゃんは入居後、神様のようになって逝った

岡田さんの朝は早い。

「その日によってだけど、だいたい4時過ぎにいったん起きて、皆の部屋を見て回って……」

そこから、怒濤の一日が始まる。食事の用意に介助、酸素飽和度や血圧の測定といった入居者の健康管理、1人1日、少なくとも6回のオムツ交換。いちばん遅いオムツ交換は深夜1時半過ぎだ。スタッフのなかで、もっとも忙しく動き回っているのは、紛れもなく、岡田さんだ。開業以来、彼女が休んだのは数年前、インフルエンザに罹患して隔離された5日間だけ。

「ヘルパーさんたちに言われんだ、『社長はマグロと同じで、止まったら死んじゃうでしょ』って(笑)」

1年365日、食堂のベッドで寝起きする岡田さんだが、その睡眠は「いっつも仮眠だ」という。マニュアルに頼らない理由を問うと、岡田さんは「当たり前のことだから」と、また朗らかに笑った。

「うちも一応、マニュアルはあるんだよ。でも、私たちが相手するのは人間。マニュアルどおりにはいかないし、マニュアルで片付くなんて思ってたら、大間違い」

そして、こう続けた。

「一人の人間を最期まで看るって、大変なこと。相手も機嫌のいいときばかりもないわけだから。それでもね、私たちはずっと寄り添うの、それしかないの」

ちなみに「ぽらりす」という施設の名は、北極星のこと。

「北極星って、いっつも同じ場所にあって、ズレないんだって。だからね、行き場がなくて困ったときは、ここを目指してくださいって、そういう気持ちを込めたの」

実際に岡田さんは、行き場のない女性の面倒を見たこともあった。彼女の名は「タミちゃん」。

「私、10年ぐらい前にもタミちゃんの家に訪問介護で行ってたことあって。本当に根性悪いばあちゃんだった。『いまからうかがいますよ』ってときに、わざと出かけて留守にしたり。会ってもあいさつどころか、プイッて横向いちゃうような人。しまいには『生け垣の枝を切れ』とか『切った枝を捨ててこい』とか。それはヘルパーの仕事じゃない、と断ると『やってくんねえのか!』って怒鳴られて」

それから、数年後。彼女の兄弟たちが、この偏屈な老女を連れてぽらりすを訪ねてきた。「どうにか、ここで面倒を見てほしい」と。

「私、断ろうと思ったんだ。もう、このばあちゃんとは関わり合いになりたくないって思ってたから」

タミちゃんの兄弟は、こう言って岡田さんに頭を下げた。

「頼むよ、一人娘にも先立たれて、孫たちが家も売っちまって。行くあても、受け入れてくれるとこもないんだ。それに、もう昔のような、ばあちゃんじゃないから」

ちょうど入居者を1人、看取ったばかりで部屋が1つ空いていた。岡田さんは断りきれず、タミちゃんを受け入れることにした。そして、入居してきた彼女からは、兄弟たちが言ったとおり、かつてあった険がすっかり消えていた。

「驚くほど穏やかになってた。そんで、いっつも部屋でお祈りしてっから『なに拝んでんだ?』って私、聞いたの。彼女、私のこと『みっちゃん』って呼んでたんだけど。『みっちゃんのところが、ずっと続けられますように』なんて言うんだ。あの、根性悪かったタミちゃんがだよ、びっくりしたよ」

さらに、驚かされることが続く。

「タミちゃん急に、手作りの味噌を1kgずつ、私らスタッフ全員にくれて。『え、なんで?』と思ってたら、その2日後だったかな、タミちゃん亡くなったんだよね」

そして、岡田さんをさらに驚かせるものが、彼女の遺品のなかにあった。それは、A2サイズほどの大きな紙3枚に、びっしりと書き込まれた、岡田さんとぽらりすの皆への、感謝の手紙だった。

「すごいでしょ、これ。タミちゃんって学校出てないんだよ。そんな人が、これ書くの、どれだけ大変だったか。それ思うとね、もうこれ捨てられないのよ。『親切にしていただいたことは忘れません』だなんて……。だからね、たとえどんな人でも、最後は神様みたいになっていくんだ。なっていかない人、私は見たことない」

■スタッフも入居者にかわいがってもらっている。ぽらりす全体で一つの家族のよう

「社長は、水商売時代と基本的にはなんも変わってないよ」

こう話すのは、ぽらりすの調理担当で、岡田さんとは40年来の付き合いという、「てっちゃん」こと、赤荻鉄夫さん(67)。

「てっちゃんは、私がやってたスナックの常連。いっつもカウンターの隅で酔っ払って寝てた人。和食屋とか、病院の食事を作る仕事をしてたから。ぽらりす始めるときに、私が引き抜いたの。ねぇ、てっちゃん、昔の私はキレイでピチピチだったよねぇ(笑)」

ママならぬ社長の言葉に、調理の手を止め苦笑いを浮かべた赤荻さん。こう言葉を継いだ。

「社長はね、スナックの客にもここの入居者さんにも、いっつも本気、本気で応じるんだ。だから皆、社長には心を開くんだよ」

社長は休みなしの働き詰めだが、ぽらりすは決してブラックな職場ではない。岡田さん以外のスタッフは全員、週休2日が守られていて、前出の保科さんは「働く者にも、ここは居心地がいい」と話す。

「介護職の離職率が高いのって、口ばっかり、きれいごとばかりの経営者や幹部がいるところかな、と。その点、ここはいちばん頑張ってるのが社長なので(笑)。ぽらりすに就職して以来『仕事行くの嫌だな』なんて思ったことは一度もないです。社長が入居者さんの子どもなら、私たちは孫みたいな感じ。スタッフも入居者さんにかわいがってもらってる。ぽらりす全体で一つの家族みたいなんです」