稀勢の里 横綱を“引退”土俵際に追い込んだ「師匠の呪縛」
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(写真:アフロ)



昨年、19年ぶりの日本出身横綱となり、フィーバーを巻き起こした稀勢の里。しかし、それからわずか1年で相撲人生の“土俵際”に立たされるとは、果たして誰が想像しただろうか。復活を期した一月場所も6日目から途中休場しているのだ。



「年6場所が定着した58年以降、横綱の5場所連続休場は、歴代5位の不名誉な記録です。ましてや稀勢の里は横綱になってまだ6場所なのに、皆勤は1場所だけですからね」(相撲ライター)



そんな彼が悲壮な決意を表明したのは1月24日のこと。



「次の場所は覚悟を決めてと思っている。(横綱に)上がったときから(不振が続けば)常にそういう気持ちでやってきた」



稀勢の里の“運命の歯車”を狂わせたのは、昨年の三月場所だという。相撲ジャーナリストの荒井太郎さんは言う。



「元横綱・日馬富士との対戦で、左大胸筋を負傷してしまい、武器であった左おっつけが機能しなかったことが、不振の最大の原因ですね。せめて次の五月場所は最初から休場してケガを治していれば良かったのでしょうが、責任感が強い性格だったのが仇になった形です」



なぜ稀勢の里は、ケガを完治させないまま出場と休場を繰り返したのか?古くからの後援会関係者は、それを“師匠の呪縛”と呼んだ。



「稀勢の里は入門したときの師匠である、いまは亡き鳴戸親方(元横綱・隆の里)をとても敬愛していました。鳴戸親方はとても厳しく、『体が痛いからといって休場するのは相撲道に反する』『ましてや大関や横綱になったのなら来てくださるお客様のために、ケガをしていても土俵に上がれ』などと言っていました」