にもかかわらず、最終回が近づくにつれ、花岡の存在が画面外から強く語りかけてくるように感じた。
イケメン研究をライフワークとする“イケメン・サーチャー”こと、コラムニスト・加賀谷健が、フレームの内と外をつなぐ岩田剛典について解説する。
信念の人たちの決定的違い
『虎に翼』に登場するふたりの判事、桂場等一郎(松山ケンイチ)と花岡悟(岩田剛典)は、どちらも決してブレない信念の人たちである。戦後、前者は最高裁判所第5代長官となり、後者は食糧管理法の担当判事になった。司法の独立をなんとしても守ろうと身を粉にする桂場と、闇市を取り締まる立場としてヤミ米を買わなかった花岡。どちらも凄まじい熱量だが、でも決定的な違いがある。それは、食べるか、食べないかだ。
「食べないとやっていけないですし、花岡は『法がそうなっているから』というので餓死してしまった」
『モデルプレス』のインタビューで、桂場役の松山ケンイチがそう言っている。甘いものが好物である桂場は、甘味処「竹もと」に足しげく通い、大好きなあんこ団子を食べた。一方、花岡は配給以外の食糧を手に入れることを頑なに拒み、第10週第50回で極度の栄養失調から餓死した。
アメリカ映画的なキャラクターを演じる意味
どうしてそんなに頑ななのか。いくら生真面目な人だからといって、自分の生命を危険にさらすのは、ちょっと度が過ぎている。でも、どこまでも信念に忠実であろうとする花岡は、忠実であるがために花岡たり得る。そしてそのために本作の中盤で画面上から退出することになった。自分がどうなろうと担当判事であるからには、ヤミ米は食べない。食べないと決めたら絶対に食べない。厳格なルールと行動原理の人。こうした頑なさは、非常にアメリカ映画的なキャラクターだと思う。
アメリカ映画のキャラクターとは、何より自分の行動原理に忠実。一度そうと決まったキャラクター(性格)からは決してブレない。例えば、主人公が悪役を倒すキャラ設定なら、どんな困難な状況の中で自分の生命を危険にさらそうともくじけることなく悪を倒す。いわば、悪を倒さなければならないという使命(キャラ設定)が遺伝子レベルですりこまれている。
花岡の場合のキャラクター設定とは、まさに「法がそうなっているから」。その性格に忠実である様は、明らかに遺伝子が指示してヤミ米を食べないかのようだ。もし食べたらその人がその人ではなくなる。だったら余計食べない。
花岡悟という極めてアメリカ映画的なキャラクターは、古典的ハリウッド映画俳優のようにまったく無駄がない演技をする岩田剛典が演じるから、なおさらに意味があったように思う。
花岡らしい美しい身振り
花岡の頑なさは、食べないこと以外にも指摘できる。明律大学時代の彼が、女子部からあがってきた寅子たちを蔑視の眼差しで見つめる第3週第15回の初登場の瞬間から顕著だった。うわべは紳士的でありながら、その実とんでもない女性蔑視をする、頑なな男性中心主義者。第4週第18回、学友たちとのハイキングで、口論になった寅子にこづかれ、崖から落下する衝撃の場面がある。両腕を後ろに振り上げているのに、なかなか落下していかない歪(いびつ)な画面は、アルフレッド・ヒッチコック監督の『サイコ』(1960年)で、探偵が階段から落下する場面のぎこちない動きとよく似ている。
この落ち方について岩田は「マトリックス落ち」と呼んでいる。9月27日の最終回放送に合わせて、Instagramのストーリー上にこの場面の撮影風景を投稿しているくらい、本人にとってはこの場面が花岡役のハイライトだったのだろう。でも筆者はマトリックスではなく、ヒッチコック的な古典落ちだと考えている。
女性蔑視の考え方は寅子との対話の中で次第に変わり、むしろ彼女に恋心を抱くようになる。裁判官の試験に合格(寅子に電話で伝える場面が特に古典的佇まい!)してレストランで祝杯をあげる第7週第32回。二人きりの時間。花岡は地元・佐賀に一緒についてきてほしい。
もう少しはっきり言えばいいのに。花岡は素直に言えない。でも素直な花岡は花岡ではない。帰り際、寅子に見せた後ろ姿で、右手をあばよとあげるしかない。花岡らしい頑なさの身振りが美しかった。
花岡役と符号する表情
まるで自分の性格に忠誠を誓うかのような花岡が、第49回で、ベンチに座って寅子と弁当を食べる場面がある。大学卒業後、それぞれ法曹界で職を得て、彼らはたびたびそうやって外で昼食をともにしていた。久しぶりの再会。ヤミ米に手を出さずに耐える花岡の弁当は、小さな握り飯とさつま芋ひと欠片だけ。質素極まりない。寅子のほうは、闇市で買ったヤミ米を炊いた白米とつやっとした卵焼き。弁当の中身が全然違う。
ろくに栄養を取らないから、元気がない。声色も弱々しく聞こえる。ひとときの昼食のあと、寅子は別れ際にチョコレートを半分渡す。花岡は最初受け取らないが、寅子から子どもたちにと言われて受け取る。
花岡は「ありがとう、猪爪」と切ない表情で精一杯の力を込める。このときの岩田剛典の演技があまりに素晴らしい。花岡悟というキャラクターを出番の最後で完全につかんでいる。単なる表情の素晴らしさではなく、花岡役の性格とぴたりと符号する表情。岩田が、忘れがたい豊かさを残してくれた。
フレームの内と外
第24週第144回、家庭裁判所発足から20年が経ち、寅子が東京家庭裁判所少年部部長に、ライアンこと久藤頼安(沢村一樹)が所長になる。発足時、家庭裁判所の父と称される愛の人・多岐川幸四郎(滝藤賢一)が飾った一枚の絵が、同裁判所内にまだ飾られている。絵を描いたのは、花岡の妻。
いや、岩田が残した表情の豊かさによって、フレーム外の存在であるはずの花岡が語りかけてきてフレーム内に今でも感じ続けられる。しかも絵という一枚の枠が画面内にもうひとつのフレームを作っている。本作だけでなく、奈緒主演の不倫ドラマ『あなたがしてくれなくても』(フジテレビ、2023年)でも冷蔵庫をのぞいて痛切な表情をする岩田が、冷蔵庫の枠で縁取られるように捉えられていた。
あるいは演技以外でも、今年の『24時間テレビ47』(日本テレビ、8月31日、9月1日放送)のチャリティー企画「三代目・岩田剛典が挑む 生アート制作 一流画家の作品をオークション」で、ライブペイントに挑戦した岩田の作品が、テレビ画面内でフレーム内フレームになっていた。家庭裁判所に飾られた一枚は、岩田が演じる花岡作でないにしろ、岩田剛典がフレームの内と外を自在につなぐことで、本作の映像的価値を高めていた。
<文/加賀谷健>
【加賀谷健】
音楽プロダクションで企画プロデュースの傍ら、大学時代から夢中の「イケメンと映画」をテーマにコラムを執筆している。ジャンルを問わない雑食性を活かして「BANGER!!!」他寄稿中。日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業。Twitter:@1895cu