問題の記念碑は2本あり、台湾本島の西側に浮かぶ澎湖諸島のうち、澎湖島の南東部沿岸の林投公園に立っているが、これらは元々日本統治時代に日本軍の同島占領を記念する「明治二十八年上陸記念碑」とされていた石碑の碑文が、戦後、中華民国側によって「抗戦(日中戦争)勝利記念碑」と「台湾光復記念碑」に変更されたもの。
日本軍は1895(明治28)年3月、「海軍陸戦隊」と「混成支隊」の二手に分かれて林投と裡正角から上陸し、澎湖は同26日に陥落、大正末期になって上陸地点2カ所に記念碑が立てられた。これを日本の敗戦後に澎湖を接収した中華民国軍の馬公要塞司令部がそれぞれ「抗戦勝利記念碑」と「台湾光復記念碑」に取り替え、2000年に澎湖県指定の古跡となった。
しかし、島民にとって、かつて日本が台湾・澎湖を侵した歴史は消し去ることのできない記憶。日本軍澎湖上陸の証であった石碑に過去の歴史が反映されていないのはおかしいとして、これまで地元住民や郷土史家などから歴史的真相の回復を求める声が上がっており、史実を具体的に明記したプレートの設置や文献を手がかりとする石碑復元の案も出ているという。
この問題について澎湖県文化局では、同局は歴史的真相を回復する義務を帯びており、今後は住民や関係者の声をまとめて適切な対応が取れるよう努めたいとしているという。
(写真提供:澎湖県文化局)
(編集:谷口一康)