
湯氏は2・28事件発生当時はマラリア感染のため病床に臥していたものの、事件処理委員会台南市分会の治安部門のトップの任を受け、治安維持に努めた。3月11日に国民党政権に逮捕される前、治安維持に関わった台湾人エリートや学生の名簿を焼却処分し、厳しい取り調べにも屈さず、同13日に反乱罪で銃殺された。
警察官だった日本人の父親と台湾出身の母親の間に生まれた湯氏。父親は1915(大正4)年に日本統治下の台湾で起こった抗日武装蜂起「西来庵事件」(タパニー事件)で殉職した。黄市長はあいさつで、湯氏が抗日蜂起で父親を失いながらも台湾の人々の味方をし、台湾人を守ったことに触れ、台湾が将来の主体性に直面している今日において、湯氏の精神と思いやりはますます懐旧の情を呼び起こさせると語った。
追悼会は湯徳章紀念館の創設を推進する市民団体が主催した。黄市長は、市は記念館の設立準備を検討していくとし、来年は民間と共同で湯氏を記念したイベントを開催する考えを明かした。
同市は2014年、湯氏が処刑された3月13日を「台南市正義・勇気記念日」に制定した。
(張栄祥/編集:名切千絵)