歴史に翻弄された台湾の作曲家、江文也 日本統治時代の五輪代表

歴史に翻弄された台湾の作曲家、江文也  日本統治時代の五輪代表
江文也=劉美蓮さん提供
(台北中央社)日本統治時代に開催されたベルリン五輪音楽部門で、台湾出身の青年、江文也が作曲した管弦楽曲が審査員特別賞を受賞した歴史を知る人は少ない。江は五輪史上、同部門唯一のアジア人受賞者でありながら、その人生は時代の波に翻弄され続けた。

江は1910(明治43)年台北生まれ。貿易商を営む両親と共に6歳でアモイに移住し、24(大正13)年ごろに長野県の旧制中学に入学。親の期待に応えて高校は電気科に進学したものの、音楽への興味をあきらめ切れず、余暇を使って声楽の勉強に励んだ。卒業後、コロムビアレコードの専属歌手となり、山田耕筰に師事。音楽コンクールの声楽部門で優秀な成績を収め、作曲にも意欲的に取り組んだ。

五輪は12年から48年まで、スポーツ競技だけでなく芸術競技も行われており、日本は36年のベルリン五輪で初めて音楽部門に参加。江のほか、山田耕筰、諸井三郎、箕作秋吉、伊藤昇の計5人が日本代表として作品を出品した。いずれも上位3位は逃したが、江が故郷をイメージして作曲した「台湾の舞曲」は審査員特別賞に輝いた。同年9月13日付の東京日日新聞は「4等入選」と報じている。

38年、江は北京に渡り、そこで終戦を迎える。日本女性と結婚していた江だが、日本には戻らず、北京で出会った中国人女性と家庭を築いた。だが、蒋介石率いる国民党は江が戦時中、日本の「戦争映画」の音楽などを手掛けたとして政治犯扱いし、投獄。江は同郷の人々の奔走で出獄するも、国民党政権が49年に台湾に拠点を移すと、再び逮捕されるのを恐れて中国大陸にとどまった。しかし共産党からも反体制派と見なされて職を奪われ、文化大革命では強制労働に従事させられるなど苦難が続いて健康を害し、83年、北京で死去した。遺作となったのは幼少期に母親が歌ってくれたメロディーをベースにした「阿里山の歌声」だった。

台湾では2016年、「江文也伝」(劉美蓮著)が出版された。2020年東京五輪・パラリンピックを控えた日本でもぜひ江の存在を知ってほしいという著者の意向により、現在日本語版の準備が進められている。

(編集:塚越西穂)

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