「山本嘉次郎監督、黒澤明監督、女優の岡田茉莉子さん……錚々たる面子が並ぶ中でオーデイションを受けました。何度も「落ちた」と思ったけど、どういうわけか受かってしまった(笑)。最初は怒られてばかり。ケーブルを踏むと怒鳴られ、踏まないように気をつけていたら「邪魔だ! 」と照明さんから怒られる。居場所がないとは、このことだった」



 生粋の映画人が集う東宝のスタジオを知っているからこそ、今の環境に疑問を唱える。



「今は少し優しすぎると思う。僕がお芝居の提案をすると、監督でさえ腰を低くして、『それいただきます! 』なんて言うんだよね。こっちは差し上げたつもりなんかないんだから、遠慮しなくていい。もっとぶつかってきてもらって構わない。やはり厳しさがないと成長は伴わない。少しくらい慇懃無礼なほうがいいんだよ」



 デビューから1年後、3作目にして主役として白羽の矢が立つ。赤い台本を手渡され、カタカナで『ゴジラ』と書かれていた。「私が、このゴジラ……になるんですか? 」。わけがわからず、思わずそう聞いたと振り返る。



「ゴジラが何だかわからないんだもの。ただ、1つだけわかったのは、主役に決まったから『これで新宿の焼き鳥屋のツケが払えるな』って(笑)。気持ちも大きくなって、現場で『主役の宝田明です!』と元気に挨拶したら、『馬鹿野郎! 主役はゴジラだ! 』って怒られたのを覚えている」



 当時、米国によるビキニ環礁の核実験が社会問題化していた。特に1954年3月1日に行われた実験では、日本のマグロ漁船・第五福竜丸をはじめ約千隻以上の漁船が、死の灰を浴びて被ばくした。