1977年、ペンシルベニア州アパラチア山脈のトレイル沿いのピナクルの麓にある洞窟で、男性の凍死体がハイカーらによって発見された。
以来この男性の身元は不明なままで、「ピナクルマン」と呼ばれ捜査が進められてきたが、47年たった今年、ついに身元を特定することができ、未解決事件はようやくクローズした。
約半世紀もかかり、ついに身元が判明したのだが、どのような経緯をたどっていき、真実を導き出したのか?その謎に迫ってみよう。
洞窟の中にあった身元不明の男性の凍死体
1977年1月16日、ふたりのハイカーがアパラチア山脈のトレイル沿いのピナクルの麓にある洞窟内で男性の凍死体を発見した。
男性は、身長178cm、体重70kg、年齢25~35歳くらいの白人男性で、青い目と赤い巻き毛の長髪だったという。
顎髭を生やし、顎の左側にT字の傷痕があった。
彼はまた、青い石がはめ込まれた14金のホワイトゴールドの指輪をはめており、ポケットには櫛、ペン、鉛筆、マッチ、1ドル78セントが入っていた。
当局は、明らかな犯罪の痕跡は見つからず、殺人などの事件性はないと判断した。
検死報告書には、死亡時刻は不明、死因はフェノバルビタールとペントバルビタール(鎮静睡眠薬)の過剰摂取による自殺によるものと書かれた。
引き取り手が誰も現れなかったため、男性はバークス郡のポッターズフィールドに埋葬された。
ピナクルマンの身元判明調査の経緯
遺体が発見された32年後となる2009年8月、「ピナクルマン」と名づけられたこの男性は、全米行方不明者、身元不明者システム(NamUS)のデータベースに登録された。
さらにその10年後の2019年4月、データベースでフロリダ州とイリノイ州で失踪した男性2名が一致している可能性が示されたが、最終的には違う人物であることがわかった。
ピナクルマンの指紋は採取されたものの、原本は紛失してしまっていて、コピーの品質は身元確認に使うには劣化しすぎていた。
2019年8月、ピナクルマンの遺体が掘り起こされ、法医人類学者、法医学者、法歯学者によって調べられた。
これによりNamUSのデータベースが更新され、サンプルがテキサス大学のヒト識別センターに送られたが、なんの進展も得られなかった。
2021年7月、ヒト識別センターに送られていたサンプルが差し戻された。
2022年11月、ピナクルマンのサンプルは法医学DNA検査サービスに送られたが、一致するものは見つからなかった。
顔の近似から捜査を行おうとしても、顔の骨が破損したり失われたりしてうまくいかなかった。
47年たった2024年、ついに身元が判明
だが今年2024年の8月、大きな進展があった。
ペンシルベニア州警察の軍関連の未解決事件担当刑事がピナクルマンの指紋の原本を見つけ出し、NamUSに提出した。
すると、FBIの指紋専門家がたちまち一致したものを見つけ出し、ついにピナクルマンの身元が判明したのだ。
バークス郡検視官のジョン・フィールディング3世は2024年8月27日に記者会見を行い、長い間身元不明だったこの男性は、ペンシルペニア州フォートワシントン出身のニコラス・ポール・グラブ氏(死亡時27歳)であることが判明したと発表した。
ピナクルマンこと、ニコラス・ポール・グラブ氏の経歴
家族からはニッキーという愛称で呼ばれていたニコラス・ポール・グラブ氏は、1971年にペンシルベニア州兵第111歩兵連隊第1大隊のC中隊に所属、その後名誉除隊していたことがわかった。
当局は、グラブ氏の死亡証明書の修正を行う予定で、遺族は彼を家族の墓地に埋葬することを望んでいる。
検視事務所は約半世紀ぶりにグラブ氏が家に帰ることができるよう動いている。
長い間忘れ去られていた未解決事件の無名の人物が判明に至ったのは、関係者の不屈の捜索によるものだろう。