
ケニア沖で発見された難破船は、500年前にインド洋へ向かったバスコ・ダ・ガマの最後の航海に同行した船だった可能性があるという。
2013年、ケニア、マリンディ岸沖で発見された船の残骸は、ポルトガル船団8隻のうちの1隻で、1524年に沈没したサン・ジョルジェ号ではないかと専門家は考えている。
沈没船は、ケニア沖およそ500m、水深6mのところに沈んでいて、サンゴ礁に隠れてほとんど見えないが、ポルトガル、コインブラ大学の海洋考古学者フィリペ・カストロ氏らは船体と骨組みの木材を発掘した。
バスコ・ダ・ガマの最後の航海
日本の歴史の授業でも聞いたことがある名前だろう。バスコ・ダ・ガマ(ヴァスコ・ダ・ガマ:1469~1524年)は、1497年に初めてアフリカ最南端の喜望峰経由でポルトガルからインド洋への航路を開拓したポルトガルの探検家だ。
1524年にインドで亡くなるまでにこのルートで3度の航海を行い、インド洋におけるポルトガルの貿易覇権の基礎を築いた。
サン・ジョルジェ号は、彼の最後の航行に同行したおよそ20隻のうちの1隻だったが、バスコ・ダ・ガマの死の直前に沈没した。
この船はマリンディ近海で沈んだ2隻のうちの1隻で、もう1隻は1544年に沈没したノッサ・セニューラ・ダ・グラサ号だ。
カストロ氏によれば、これが本当にサン・ジョルジェ号ならば、ケニア海域にバスコ・ダ・ガマの第3艦隊が存在した物理的証拠となり、歴史的、象徴的価値をもつ重要な宝と言えるという。
難破船の謎
ケニアはインド諸国の魅力に触れることのできる中継地点で、そこで発見されたヨーロッパの難破船は注目すべき資産だという。
沈没現場周辺からは銅の延べ棒や象牙が回収されている。
とはいえ、これが本当にバスコ・ダ・ガマの船だったのかどうか断定するには、まだまだ調査が必要だ。船の保護、敬意、配慮が十分に必要とされるだろう。
カストロ氏と彼の同僚は現在、マリンディからケニアのラスンゴメニまでの約25km北に広がるサンゴ礁の考古学的調査を実施するなどして、船の正体を確認したいと考えている。
ケニア当局によると現場周辺はダイバー向けの水中博物館として整備される可能性があるという。
この研究は『Journal of Maritime Archaeology[https://go.redirectingat.com/?id=92X1590019&xcust=livescience_row_4175099221120432195&xs=1&url=https%3A%2F%2Flink.springer.com%2Farticle%2F10.1007%2Fs11457-024-09431-5&sref=https%3A%2F%2Fwww.livescience.com%2Farchaeology%2Fit-is-a-treasure-wreck-off-kenyan-coast-may-be-from-vasco-da-gamas-final-voyage]』誌(2024年11月18日付)に掲載された。
References: https://www.livescience.com/archaeology/it-is-a-treasure-wreck-off-kenyan-coast-may-be-from-vasco-da-gamas-final-voyage[https://www.livescience.com/archaeology/it-is-a-treasure-wreck-off-kenyan-coast-may-be-from-vasco-da-gamas-final-voyage]