
19世紀、北極海で消息を絶ったイギリスのジョン・フランクリン遠征隊。その生存者を救うため、捜索隊が配布した「救助ボタン」が、2025年6月、イギリスのオークションで約120万円という高値で落札された。
このボタンには救助ルートや物資の場所が刻まれ、生存者が帰還できるよう工夫されていた。現存するのはわずか4点。小さな真鍮のボタンが秘める、悲劇の探検と捜索の歴史を見ていこう。
北極海探検中、消息を絶ったジョン・フランクリン遠征隊
イギリス海軍の士官で、経験を積んだ探検家だったジョン・フランクリン(1786–1847)が率いた遠征隊は、1845年にイギリスから北西航路(ヨーロッパとアジアを結ぶ北極海の航路)の発見を目指して出航した。
2隻の船、HMSエレバス号とHMSテラー号には129人の乗員が乗り込み、数年分の物資と最新の装備を備えていた。
しかし、船はカナダ北極圏の氷に閉じ込められ、そのまま消息を絶った。
これを受け、イギリスは大規模な捜索を行い、数十隻の船が北極海に派遣された。
救助ボタンの役割
フランクリン遠征隊の捜索計画の一環として作られたのが、今回落札された救助ボタンだ。
真鍮製のボタンの表面には、「1852」 の年号を中央に刻み、周囲には救助ルートや補給地、避難所の情報が細かく記されていた。
- INVESTIGATOR AUGT 1850(インベスティゲーター号の1850年8月の活動)
- ENTERPRISE AUGT 1851(エンタープライズ号の1851年8月の活動)
- PLOVER AT PORT CLARENCE(ポート・クラレンスにおけるプラバー号)
- SQUADRON WITH STEAMERS SEARCHING W. OF PARRY ISLANDS 1852(1852年、パリー諸島西方を探索する蒸気船部隊)
- DEPOTS OF PROVISIONS(補給物資の保管所)
- REFUGE INLET, PORT LEOPOLD(避難地:ポート・レオポルド)
- ADMIRALTY INLET IN BARROW STRAITS(バロー海峡のアドミラルティ湾)
裏面には「IN SEARCH OF SIR JOHN FRANKLIN ARCTIC EXPEDITIONS(ジョン・フランクリン遠征隊捜索中)」の文字が刻まれ、捜索の一環であることが示されていた。
捜索隊は現地のイヌイット(カナダ北極圏の先住民)にこのボタンを配り、遠征隊の生存者がイヌイットと出会ったりボタンを見つけたりすれば、物資を頼りに帰還できるよう意図されていた。
遠征隊を捜索するための様々な試み
他にも気球にメッセージを結びつけて飛ばしたり、北極ギツネに首輪で情報を託すなどの試みも行われた。
さらに1850年3月、イギリス海軍省は、フランクリン遠征隊の乗員を救助した者や、消息確認に貢献した者に巨額の報奨金を与えると告知するポスターを作成した。
全員の救助に対しては2万ポンド、一部の救助や有力な情報の提供には1万ポンドの報奨金が提示された。
当時の2万ポンドは、現在の貨幣価値に換算すると約8.9億円、1万ポンドは約4.4億円に相当する。
救助ボタンがオークションに出品され高値落札
救助ボタンはごく少数しか製造されず、現存が確認されているのは世界で4点のみだ。
今回落札されたボタンのほか、アメリカ・ワシントンD.C.のスミソニアン博物館に1点、個人所蔵に2点が残るだけである。
2025年6月24日に行われたオークションでは、当初の評価額約1,100ドル(約16万円)を大きく上回り、8,225ドル(約120万円)で落札された。
小さなボタンが秘めた歴史と希少性が、その高額落札の理由となった。
References: Rare Arctic Button Sells for $8,000[https://explorersweb.com/rare-arctic-button-sells-for-8000/] / Rare Arctic rescue button makes £6,000 at auction[https://www.bbc.com/news/articles/c0j4n53pywwo]
本記事は、海外で報じられた情報を基に、日本の読者に理解しやすい形で編集・解説しています。