オーストラリア最大の未解決事件の捜査が再開。男性の遺体が掘り起こされる「タマム・シュッド事件」(1948年)


 1948年12月、オーストラリア南オーストラリア州にあるソマートン公園の海岸で、身元不明の男性の遺体が発見された。

 遺体のズボンの隠しポケットからは、ペルシア語で「終わった」「済んだ」という意味を表す「タマム・シュッド」 ("Tamam Shud") と印字された紙片が入っていた。
発見された男性は「ソマートン・マン」 ( the Somerton Man) の通称で呼ばれており、現在も身元が判明していない。

 タマム・シュッド事件、もしくはソマートン・マン事件と名付けられたこの事件は当時広く世間の注目を集めた。

 71年たった今、この謎の答えを探すために彼の遺体を再び掘り起こす許可がついに与えられた。
【約71年前の身元不明の男性の遺体】

 通称「ソマートン・マン」は、1948年1日午前6時30分頃、南オーストラリア州アデレードから数マイル南にあるソマートン公園の海岸で遺体で発見された。

 マスコミもこの事件に大いに注目したが、行方不明者の届け出はなく、彼を知っていると名乗り出る者もなかった。

 最近になって、わずかに残された毛髪をDNA鑑定してみたり、より詳細な似顔絵を作成したりしたが、依然として決定的な結論は出ていない。


 当時、捜査筋に近かったロビン・トムソンの未亡人ロマ・イーガンは、ソマートン・マンは近親者ではないかと考えている。

 存命の可能性のある親族にとっても、事件に終止符をうつためには、遺体の発掘許可がおりることになるだろう。ただし、税金を使わないという条件でだ。

 この身元不明の男性は隠密スパイだったのだろうか? 家族はいるのか、それともたまたまそこに居合わせただけの者なのか? 殺されたのか、自殺したのか? それとも、すべては偶然が織り成した事故だという可能性はあるのだろうか?

 世間が新たな事実を待ち望んでいる中、この事件が解決するかどうかを見極めるために、再びこの謎に迫ることにしよう。

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The Most Mysterious Man in the World

【ソマートン・マンはどのようにして発見されたのか?】

 身元不明の男性の遺体は、堤防の壁に頭をもたれかけ、傷ひとつない状態で横たわっていた。発見したのは、浜辺で乗馬のトレーニングをしていたジョッキーたちだ。


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 目に見える外傷はなかったので、一見、男性はただ眠っているだけのように見えた。だが、近づいてみると死んでいるのがわかったという。

 男性の身長は177センチほど。運動選手のようながっしりした体格で、グレイの瞳、赤毛がかった金髪、足の爪先がいくぶんつぶれたようになっていて、バレエダンサーを思わせた。

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オーストラリア、アデレード近くのソマートン公園海岸。×印が1948年に遺体が発
見された場所

【身元を証明するものは一切所持しておらず】

 所持品は、新品のタバコ、アデレードからヘンリービーチまでの未使用の鉄道切符、使用済らしきバスチケット、櫛、半分中身が残ったチューインガムの箱、アーミークラブのタバコの箱とマッチが数本。


 アーミークラブがイギリスのタバコブランドであることと、この男性の風貌から、彼はイギリス人だと思われたが、上着ははアメリカの仕立てだった。

 ここから、この事件がさらに謎めいていくことになる。

 男性の服からはタグ類がすべて取り去られていて、身元を証明するものは一切身に着けていなかった。歯科の記録も男性と一致するものはまったく見つからなかった。

 男性が最後に食べてものはミートパイだったことがわかった。検死官は個人的には毒が盛られたのではないかと思ったが、ミートパイを介してではないとしている。


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発見当時、外傷は見当たらなかったソマートン・マンの遺体

【審問検死と新たな発見】

 1949年1月4日、アデレード鉄道駅の職員が、11月末からあずけられていたままになっていたラベルがはがされたスーツケースを発見した。

 中には、スリッパ、部屋着、短くして研いであるバターナイフ、船員が使うようなステンシル用刷毛、アメリカで購入したと思われる外套が入っていた。

 よくよく調べると、中にあったベストに"キーン"という名前が入っていたが、衣類からタグを取り去った者は、遺体がキーンではないことがわかっていたため、キーンの名はそのままにしたのではないかと警察は考えた。

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デレード駅で見つかったスーツケースを調べる捜査員

 手紙や身元をできる書類の類は一切なかった。さらに遺体の体には、いくつか通常とは違う点が見つかった。

 男性の靴はきれいで、砂浜を歩いた痕跡はなく、服には嘔吐物や唾液の跡もなかった。
毒を盛られて死んだとすると、そうした汚れは拭い取られて、ビーチに運ばれた可能性があった。

 そして、男性のズボンに縫いつけられていた隠しポケットの中から丸めた紙片が発見された。

【秘密の暗号】

 その紙片には「タマム・シュッド」(Tamam Shud)と特徴的なフォントで印字されていた。これは「終わった」、「済んだ」という意味で、紙片自体はウマル・ハイヤームの『ルバイヤート』のニュージーランド版の最後のページから切り取られていることがわかった。

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遺体の隠しポケットから発見された紙片。「タマム・シュッド(Tamam Shud)」──『ルバイヤート』からの文句で、「終わった」、「済んだ」という意味

 その後の調べで、最後のページが切り取られた本は、ある男性の車の後部座席から見つかった。
その本には電話番号、あるいはなにかの暗号、意味不明の数字が記されていた。

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 このメッセージがなにを意味しているのか、いまだに解読されていない。

 電話番号を調べてみると、男性の遺体が発見された場所からそれほど遠くないグレネルグに住んでいたジェシカ・エレン・"ジョー"という女性のものと判明したが、彼女は現在では亡くなっている。

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の暗号らしきものは、男性のポケットから出てきた紙片が切り取られた本の裏ページに書かれていた

 当時、ジェシカはかつて彼女のことを近所に訊ね歩いていた見ず知らずの男性がいたと証言した。

 この事件についての著作があるゲーリー・フェルタスは、2002年にジェシカに再びインタビューしている。そのとき、ジェシカはなにかをはぐらかそうとしているような印象を受けたという。

 関わり合いになることの恐怖、戸惑いのせいか、警察は何年も、ジェシカから捜査の際に彼女の名前を出すことをかたく止められていた。だが、その後、ジェシカの遺族はこの謎を明らかにすることを願って、彼女の名前を公表した。

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【身元不明の男性に家族はいるのか?】

 ジェシカの死後、娘のケイトは60ミニッツのインタビューの中で、母親ジェシカはソマートン・マンを知っていたと思うと話した。

 ジェシカの息子ロビン・トムソンと結婚していたロマ・イーガンは、ソマートン・マンとジェシカ・エレン・"ジョー"・トムソンとの間に子どもがいたのではないかと信じているが、これを確かめるDNA鑑定は行われていない。

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 ジョン・ロー法務長官は、公益的正当性または科学的正当性が必要だとして、遺体の掘り起こしの許可を最初認めなかった。

 しかし、2019年10月、当のイーガン家から新たに要請された掘り起こし要請が許可された。DNA鑑定のために遺体を掘り起こすのは、遺族のために戦没者の墓を特定するための要請と同じことになるという理由からだった。

 イーガン家にとっては、さらに事件に深入りすることになった。ロマ・イーガンの娘レイチェルは、何年もこの事件を追ってきた大学教授デレク・アボットと結婚している。

 デレクとレイチェルは、最近ABCニュースの番組に出演し、ソマートン・マンがジェシカ・トムソンと関わりがあった可能性を信じていると話した。

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Somerton Man cold case: The body-on-the-beach murder mystery | Australian Story

 番組で、ふたりはトムソン家の肖像画を持っていて、居間のドアの上に"ミスター・ソマートン"の肖像を飾っていると明かした。

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 ケイト・トムソンは、兄ロビンの思い出を踏みにじるとことだとして遺体の掘り起こしには反対している。

 こうした人物関係は幾分こじつけじみているとはいえ、ソマートン・マンがケイトやロビンの父親、もしくはレイチェルの祖父である可能性はあるのだろうか? ポケットにあったメモはラブレターのようなものだったのだろうか?

 たったひとつの遺体かもしれないが、わたしたちは何十年も続いてきたこの謎にケリをつけようとしているのかもしれない

References:Somerton Man cold case: The body-on-the-beach murder mystery | Australian Story / Tamam Shud case/ written by konohazuku / edited by parumo

記事全文はこちら:オーストラリア最大の未解決事件の捜査が再開。男性の遺体が掘り起こされる「タマム・シュッド事件」(1948年) http://karapaia.com/archives/52284044.html