汁物大好きな三杯目 J Soup Brothersです!FU~FU~☆彡今回は四条通から綾小路通まで通り抜ける細い通り・膏薬辻子(こうやくのずし)にある平将門の怨霊を供養する首塚。
平安時代中期の関東の豪族・平将門の霊を供養する神社
四条通から綾小路通まで、まっすぐではなく途中折れ曲がりつつ走る細道・膏薬辻子(こうやくのずし)。明治2年(1869年)には新釜座町と命名されましたが、それまでは地名にもなっていた道。そして、祇園祭期間は郭巨山の御神所にもなる場所。



神田明神というと、つい東京の神社を思いうかべてしまいますが、京都にもあります。

その神社の京都版がなぜここにあるのか。
神田明神は平安時代中期の関東の豪族であり、桓武天皇の5世子孫である平将門の霊を供養する神社。
天慶3年(940年)、天慶の乱により戦死した平将門の首は平安京に運ばれ東の市、都大路で晒し首となったが、全国で天変地異が相次ぎ、平将門の怨霊の仕業とされたため、平将門の霊を鎮めるために首塚が築かれ、その場所がここに。

京都に神田明神があったとは、ちょっと驚きですね。
京都神田明神へのツイート
「神田明神」
— 幣束 (@goshuinchou) February 14, 2019
京都市下京区新釜座町。本日2月14日は新皇を名乗り関東に覇を唱え死後御霊となった平将門公の命日につきこちらをツイート。京都市内のど真ん中に平将門公を祀った小さな神社、その名も神田明神が鎮座する。承平天慶の乱で討ち取られた将門公の首は京に運ばれ、晒されたのがこの場所という pic.twitter.com/CKrjTa9p9V
基本情報
名称:京都 神田明神住所:京都市下京区新釜座町726