汁物大好きな三杯目 J Soup Brothersです!FU~FU~☆彡今回は山科区の閑静な住宅街にある石碑。大正時代の文豪・志賀直哉の旧居跡。当時の暮らしぶりが作品にも反映されているという。

国語教科書にも登場する『城の崎にて』の作者・志賀直哉旧居跡

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山科区、山科駅から南へ下った、閑静な住宅街。
【京都文人めぐり】教科書にも登場する名作『城の崎にて』の作者!作品にも登場☆「志賀直哉旧居跡」

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山科川に沿って道をゆくと、歩道があり、切れ切れと桜並木や植栽エリアもある、このあたりの住民の憩いの場にもなっているスペース。
【京都文人めぐり】教科書にも登場する名作『城の崎にて』の作者!作品にも登場☆「志賀直哉旧居跡」

そんな山科川沿いにお地蔵さんのある小さな祠と石碑。
【京都文人めぐり】教科書にも登場する名作『城の崎にて』の作者!作品にも登場☆「志賀直哉旧居跡」

ここは、明治から昭和にかけて活躍した作家・志賀直哉(1883~1971)がかつて住んでいた跡地。出身は宮城県。

志賀直哉というと、国語教科書にも登場した名作『城の崎にて』や『暗夜行路』で知られる著名な作家。その作家時代、大正12(1924)年10月26日~同14年4月までの期間住んでいたという。まあ、期間としては短いですが。

志賀直哉は別名『引越し魔』と呼ばれるほど、生涯において転居を繰り返し、その数23回。うち、京都時代住んでいた場所として、南禅寺界隈や一条御前、粟田口、そしてここ山科。京都だけでも4カ所。

【京都文人めぐり】教科書にも登場する名作『城の崎にて』の作者!作品にも登場☆「志賀直哉旧居跡」

祇園花見小路の茶屋の仲居との浮気体験を基にした、「山科もの」四部作(「山科の記憶」「痴情」「些事」「晩秋」)をのちに残し、当時の山科での暮らしぶりが作品にも反映。細い土橋、硝子戸、池庭のある一軒家に住み、美しい山科の自然に囲まれた静かな住まいであったとか。

この石碑は1989年、京都洛東ライオンズクラブにより建立。静かな佇まいは今もこの地に残っている様子でした。

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