放射能プールに潜らされる作業員、死亡事故の隠蔽、ボヤの放置...原発労働の悲惨な実態

放射能プールに潜らされる作業員、死亡事故の隠蔽、ボヤの放置...原発労働の悲惨な実態
『原発労働者』(講談社現代新書)

 汚染水漏れ、作業員の被爆や死亡事故......いまだ収束する気配がなく、トラブルが頻発する福島第一原発。しかし、こうしたトラブルは例のない甚大な事故の収束作業という「非常時」に限ってのことなのだろうか。

 福島原発の事故以降、エネルギーや経済、被害や核廃棄物の処理といった「外」の視点から原発が議論されることはあっても、現場ではたらく労働者の「中」の視点から語られることは、ほとんどない。原発労働の悲惨な実態に切り込んだ著作といえば、樋口健二のルポ『闇に消される原発被曝者』など、いくつか挙げられるが、出版は1980年前後に集中している。
 
 収束作業という「非常時」ではなく、「平時」の原発でこの30余年、何が起きていたのだろうか。
 
『原発労働者』(講談社現代新書)はそんな、"タブー"ともいえる2000年代以降の原発労働者の本音を明らかにした証言集だ。著者は、日ごろから貧困・労働問題とのかかわりが深いシンガーソングライターの寺尾紗穂。「ドヤ街」から原発労働に流れつく人々が多いと知ったことに衝撃を受けて取材をはじめる。
 
 柏崎刈羽原発で働いたことのある弓場清孝さん(64才)。フィリピン人の妻がガンで故郷に戻り、ひとりになった弓場さんは、生活のために07年から2年間、原子炉建屋下のトンネルにケーブルを引く仕事していた。本来は、原子炉内の作業にくらべて被曝の可能性がほとんどない「放射線管理区域外」の仕事である。

 しかし、弓場さんが働きはじめたのは、折り悪く07年の中越沖地震の直後。地下トンネルは、地震の揺れで燃料プールから溢れ出たと推測される大量の水で水びたしになっていた。

「これじゃあケーブル引けないから、バケツで、素手で掻き出せって」

 弓場さんは班長の指示で水を掻き出した。翌年、大量に髪が抜けた。現在も、左耳の聴力の喪失と右耳の難聴、骨髄炎の疑いを診断されているが、放射線管理区域外の業務に放射線管理手帳は配布されていないため、被曝との因果関係を調べることもできない。

「これが2007年の原発労働の実態なんだ、被曝の可能性なんか考慮もされず、完全にその場しのぎの作業に労働者が従事する」と著者も驚きをかくせない。

 さらに、同僚の過失で足場から踏み外して足首にひびが入ったときも、弓場さんは痛みに耐えながら仕事をしたという。

「ちょっとした怪我なんかしょっちゅうだから......報告したくないっていうの?報告したら帰れって言われちゃう」

 原発が温存する多重下請け構造は、賃金のピンハネだけでなく、仕事を失わないために病気や事故を泣き寝入りすることも暗に強いる。そのため、原発で労災請求がされることは、ほとんどないという。

 ボロ雑巾のように使い捨てられるのは、底辺の日本人ばかりでない。リーマンショックで自動車工場をクビになり、2010年から福島原発で働きはじめた水野一豊さん(仮名・36才)は、驚くべき光景を目の当たりにする。

「(燃料)プールに入る外国人はよく見かけました。一回入れば、200万円とか300万円とかもらえて、200ミリから300ミリ被曝するって。白人もいましたよ」

 原発作業員の年間被曝量は50ミリシーベルトと制限されているため、日本人労働者にそのような作業をさせると違法行為になる。外国人労働者に違法な大量被曝を負わせることを、「公然の秘密」としながら、原発は維持されている。

 事故が「公然の秘密」とされるのも、福島原発事故よりずっと以前からだった。火をつかう作業が多い原発内では、ボヤが起きることもしょっちゅうだ。

 福島原発で作業員の管理・教育と、構内の見回りをする仕事、通称「安全さん」に16年間従事していた高橋南方司さん(71才)はこう証言する。

「布をかけて酸素を遮断するとか、消火器を使わないでもみ消して下さいと。第一発見者が『あなたが火元じゃないですか』と疑われる。そんなことで時間をとられると困るから見てみぬふりをしておく」

 放水したり消火器を使うと火災扱いになり、消防署に届ける義務が出てくる。報告を避けるため、小さなボヤであれば、周りのものをどかして放置するのが原発内の「常識」となっているという。
 
 被曝や怪我、そして事故。「隠蔽体質」と揶揄されることもあるが、著書は、東電が隠蔽するから、というのは半分当たっていて半分間違っていると述べる。

「実際は隠蔽したい東電の意を十二分に汲んだ下請け会社のトップが隠蔽に心を砕くのだ。東電が隠蔽する以前に、東電に報告すらされない事例が多いといえる」

 孫請け、ひ孫請けといくつもの下請けが連なる巨大なヒエラルキーは、常に上の会社の顔色を窺わせる。いちばんしわ寄せをくらうのは、いつも、末端にいる現場の労働者たち。

 これが、「明るい未来のエネルギー」と、クリーンな近代テクノロジーのイメージを旗印に推進されてきた、2000年代の原発の内実だ。

 著者は訴える。

「当然のことながら、私と原発労働者たちの間にはいくつもの隔たりがある。それでも誤解を恐れずに敢えて言う。私は彼らであり、彼らは私である」

 今年の1月19日と翌20日、福島原発で2日連続で事故が起こり、作業員がそれぞれ1人死亡したことを東電は発表している。しかし、平時の原発では、死亡事故さえ隠されていたという証言もあった。

 立場の弱いものに命を脅かす労働を押し付けながら、上層部だけは責任を逃れてぬくぬくと居座わる――原発を国家ぐるみで温存するということは、命を買い叩くことを容認する社会にほかならない。
(藤 マミ)

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