先日、読売巨人軍の福田聡志投手が野球賭博に関わっていたとされる疑惑が浮上、球界に激震が走った。福田投手は、高校野球・プロ野球・大リーグの試合に関する賭博に参加しており、プロ野球の試合には巨人戦も含まれていたという。
また、時期を同じくして、野球賭博に絡んでいたとし、分裂騒動に揺れる山口組の総本部を新潟県警が家宅捜索に乗り出すという報道も世間を駆け巡った。
次々と炙り出されていく、球界(巨人)と暴力団の黒い交際関係。しかし、これはたまたま起きた騒動ではない。巨人軍の歴史を紐解いていけば、今回の騒動は、むしろ「起こるべくして起こった」とすら言えるものなのだ。本稿では、巨人軍関係者がいかに暴力団と深い関係を結び続けてきたかをご紹介していきたい。
まず記憶に新しいのは、「週刊文春」(文藝春秋)2012年6月28日号のスクープ記事を端緒に一気に盛り上がった、原辰徳監督の騒動である。
騒動の発端は1988年前後、常宿としていた兵庫県のホテルのスタッフと原が不倫関係に落ちたことに始まる。ほどなくして二人の関係は終焉を迎えるが、その最中、彼女が心中の苦しみを綴っていた日記帳が、ある暴力団関係者にわたる。その日記には、妊娠・堕胎の一幕が書かれていたとの報道もあった。そして、2009年、偶然手にした日記をネタに原は暴力団から脅迫を受ける。
この暴力団関係者はその後、交通事故で亡くなるが、それを機に、原は別の暴力団関係者から日記をネタに再び脅迫を受けるようになる。ここで遂にスキャンダルが世間に発覚。過去の女性関係も、問題となる1億円の件もすべて表沙汰となった。
原と巨人サイドは、このお金を払った人間について「反社会勢力とは思わなかった」と主張。文藝春秋を相手に損害賠償と謝罪広告の掲載を求める訴訟を起こしている。しかし、東京地裁は「記事の内容が真実と信じる理由があった」と延べ、15年7月、巨人側の請求を棄却した。原と暴力団の関係が公に認められたかたちだ。
この原監督の騒動は連日ニュースで報道され、野球ファンのみならずともよく知られる大問題となったわけだが、こんな騒動を起こした後も、巨人と暴力団の関係は途絶えることはなかった。
「週刊文春」13年11月7日号には、内海哲也選手が広島のキャバクラ嬢との間に起きた交際トラブルの解決を、暴力団員に100万円を支払い依頼した経緯が掲載された。原の騒動の後でも「黒い交際」を終わらせることができない理由。
例をあげていけばキリがない。99年には、96年12月31日に清原和博が暴力団関係者とともにゴルフをしている写真が「週刊現代」(講談社)などに掲載された。しかも、そのゴルフは単なるゴルフではなく「賭けゴルフ」であったとの疑惑も起こり、清原は球団から厳重注意処分を受けている。
また、同じ99年、今度は桑田真澄が暴力団組長とにこやかに酒宴に興じる写真をこれまた「週刊現代」に掲載され問題となった。桑田はそれ以前にも、90年、元運動具メーカー社員・中牧昭二が書いた『さらば桑田真澄、さらばプロ野球』(リム出版)で、元暴力団員の会社社長から金品を受け取っていたということ、さらに、常習賭博で逮捕歴のある人物に自身の登板予定を教えていたという、野球賭博をにおわせるような行動を暴露され大騒動を起こしたことがある。
桑田はこれに対し、金品の授受に関しては認め、球団から謹慎1カ月、罰金1000万円の処分を受けている。しかし、野球賭博への関与に関しては一貫して否定。巨人と桑田は著者の中牧氏を相手取り1億円の損害賠償と謝罪広告を求める訴訟を起こした。この裁判は半年後、桑田が野球賭博に関与していないことを確認して和解にいたるが、裁判の過程で、桑田が自分の登板日を知人など第三者に教えたことがあるというグレーな事実が明るみになった。
このように暴力団との縁を切れないのは選手だけではない。球団関係者も同じだ。
それはなぜか? 球団自体が暴力団とズブズブの関係だからだ。野球人気が落ち着いたいまでこそ、そこまででもないかもしれないが、かつて巨人戦のチケットといえばめったなことでは手に入らないプラチナチケットだった。とくに、バックネット裏のチケットともなれば、一般人にはほぼ入手不可能。そんなチケットが暴力団住吉会系音羽一家に横流しにされていた。これは、東京ドーム完成前、後楽園球場時代から続いている因習であり、02年9月27日には東京ドーム社の林有厚社長が陳謝する事態となっている。
このことに関しては、00年6月24日号の「週刊現代」に、かつて巨人軍広報部長だった若林敏夫氏が告発手記を残している。当時、興奮した応援団員同士でケンカになるケースが絶えず困り果てていた若林氏は、大きく8つに分かれていた応援団を一元化し、ケンカの撲滅へと動く。だが、そこで各応援団の代表が口にしたのは「S会のスズキさんに聞いてほしい」といった言葉だった。
そこで、若林氏は「スズキ」なる男と対面し、驚きの事実を知ることになる。
「考えてもみろよ。ファンが長い列をつくってよ、開門を待っているのによ、誰かが悪さしたら、どうなる? 警察だって、そこまで面倒みてくれねえだろう。オレたちのお陰で、ファンは安心して並んでいられるし、ゲームも無事に進むんだよ
チケットを持ってるぐらいのこと、あったりめえだろう」
ここで、若林氏は、ダフ屋にまわっているチケットもこの男によるものかと追求。すると、こう怒鳴り散らしたという。
「なんだとお! それをいうなら、巨人の出入りの運動具屋の小僧が、チケットをダフ屋に売りに来るのはどうなんだよ。エエ! あんなのは球団職員が余ったチケットを運動具屋に売りにいかせてるんじゃないのか!」
暴排条例・暴対法といったものができてから、市民社会は暴力団との交際について寛容ではなくなっている。それにも関わらず、選手・球団関係者ともに切れることのない暴力団との関係。
特に、プロ野球会には、69年に西鉄ライオンズ(当時)の選手が暴力団関係者からもちかけられて八百長をした結果、20人が野球界から永久追放となった「黒い霧事件」という決して忘れてはならない過去がある。なので、野球協約の第180条には「暴力団員等との間で金品の授与、饗応、その他利益供与などがあった場合にはコミッショナーが失格処分とする」との条文があるほど、プロ野球界隈は暴力団との交際根絶に努力している「はず」だった。
なのに、次から次へと、黒い交際疑惑が噴出する。
(井川健二)