こんな態度をこのまま許していいのか。今回の遺書と手記によって佐川理財局長の指示ははっきりしたが、この問題でもっとも問われるべきは、安倍首相の責任なのだ。なぜなら、赤木さんを死まで追い詰めた公文書改ざんは、安倍首相が国会で野党からの追及に逆ギレして述べた、この一言がすべてのはじまりだったからだ。
「私や妻が関係していたということになれば、私は間違いなく総理大臣も国会議員も辞める」
この答弁が飛び出したのは2017年2月17日だったが、このあと、大きな変化が出てくる。1週間後の24日に佐川理財局長が「交渉記録は破棄した」と答弁するなど、急に強気な答弁を繰り返すようになるのだ。そして、赤木さんの手記でも、財務省の調査報告書でも書かれているとおり、2月26日に近畿財務局で決裁文書の改ざんがはじまるのである。
しかも、安倍首相の改ざんへの関与は、けっして間接的なレベルにとどまらない。安倍首相は「総理を辞める」宣言のあと、菅義偉官房長官に指示を出していたことを国会でも認めている。安倍首相は、その指示内容を「私の家内の名前も出ましたから、しっかりと徹底的に調べるように」というものだと説明していたが、言葉がもしそうだったとしても、受け取った側は「徹底的に抑えろ」と解釈したはずだ。
実際、これを受けて、菅官房長官は22日に財務省の佐川理財局長と中村稔・総務課長、太田充・大臣官房総括審議官を呼び出している。ここで佐川氏は、昭恵夫人付職員だった谷査恵子氏が森友学園の小学校に賃料引き下げの優遇措置を適用できないかなどと財務省に照会していたことを報告しているのだ。