日本学術会議の任命拒否問題に絡み、『バイキングMORE』で平井文夫・上席解説委員が「この人たちは学士院に行って年間250万円の年金を税金で死ぬまでもらえる」などとデマを喧伝するなど、菅政権になっても御用っぷりに磨きがかかっているフジテレビ。そのフジテレビをめぐって、とんでもない事実が判明した。
なんと、フジテレビは2016年12月から2018年3月にかけて「お台場カジノ」の開発計画提案書を東京都に提出していたというのだ。
この問題を報じたしんぶん赤旗20日付によると、〈フジは三井不動産、鹿島建設、日本財団の4社グループ代表として、IR・MICE(国際会議場・展示場)を共同提案〉。提案書の表紙には「臨海副都心における国際観光拠点の実現」と銘打たれているという。ただし、具体的な提案内容については黒塗りとなっており、詳細は不明だ。
フジテレビといえば、カジノ誘致に前のめりだった猪瀬直樹知事時代の2013年、やはり三井不動産と鹿島建設、日本財団とで「東京臨海副都心(台場エリア)における国際環境拠点の整備」と題した“お台場カジノ計画”を安倍政権の国家戦略特区ワーキンググループに提出。しかし、猪瀬直樹知事の後を受けて知事に就任した舛添要一氏がカジノに消極的だったため、表立った動きは見られていなかった。
しかし、実際にはフジは裏で着々とカジノ構想の準備を進めていたことが、今回、あきらかになったというわけだ。
あらためて言うまでもなく、カジノ誘致をめぐっては横浜市をはじめとして地元住民からの反対の声も大きく、市民を二分する議論が起こっている。さらに、カジノ新設によるギャンブル依存の患者の増加も指摘されている上、すでにIRをめぐる汚職事件で秋元司・衆院議員が逮捕されているように癒着・利権の温床でもある。
にもかかわらず、その利権の当事者になろうというのは、公平・公正な報道が求められるメディア企業の姿勢として看過できるものではない。
しかも、問題なのは、都に提案をおこなっていた時期だ。前述したように、フジは2016年12月から2018年3月にかけて提案をおこなっていたことが今回判明したが、2016年12月といえば、カジノを合法化するIR推進法を安倍政権が強行成立させたのと同じタイミング。
実際、2017年6月におこなわれたフジ・メディア・ホールディングス(フジHD)の株主総会では、「カジノなどの統合型リゾート(IR)の構想に、グループとしてどうかかわっていくのか?」という質問に、当時の会長だった日枝久氏はこう回答していた。
「今年の大きな点は推進法が昨年の暮れに決まったこと。12月に決まったのは準備法案で、この後実施法が決まり、初めて正式に決まることになる。今はプロセスとして半分だ。予想されるスケジュールは実施法が決まってから、どこに作るか地区の選定がある。これが半年くらいかかる。その後誰にやらせるのかという事業者の選定が始まる。フジは特区事業室を設置しており、臨海台場エリアをエンターテインメントエリアとするアイデアを国に出している。直接カジノを運営するわけではなく、周辺事業をやろうと考えている」(東洋経済オンライン2017年6月29日付より)
安倍政権の強権的な強行採決によるIR推進法の成立を「大きな点」と歓迎し、カジノ実施法案が成立することを前提にして「周辺事業」で潤うことを株主にアピールする──。この発言は、メディアのトップとしての中立性など微塵もないものだ。
これだけでも報道機関にあるまじき態度だが、問題は今後だ。というのも、小池百合子知事はいまも正式にカジノ誘致を表明してはおらず、都知事選でもその本音を隠してきたが、実際にはカジノ誘致に積極的。現に、東京都は2020年度予算案でカジノ誘致の調査費に1000万円を計上しており、さらに東京都の幹部職員は2016年4月から2019年2月にかけてカジノ事業者6社と計17回も面会を重ねてきたという(しんぶん赤旗9月16日付)。
しかも、いまや東京都はカジノの有力候補地となっている。昨年までは菅義偉首相が後ろ盾となっている神奈川県横浜市と、維新が万博とセットで猛アピールする大阪府の夢洲が最有力とされ、3つ目の候補として自民党の重鎮・二階俊博幹事長の地元である和歌山県のマリーナシティや長崎県のハウステンボスの名前が取り沙汰されてきた。だが、新型コロナの影響により、横浜市のカジノ事業者になると見込まれていた米カジノ大手であるラスベガス・サンズが日本のIR開発から撤退したことで、一気に東京・台場に目が出てきたのだ。
フジHDは2020年4~6月期の連結売上高で純利益が9割減となったように、いまや都市開発や観光事業が屋台骨であり、「お台場カジノ」の実現に社運がかかっているとも言える。だが、そのような利権の当事者に公正・公平な報道が可能なのか。菅政権に尻尾を振り、フェイクニュースを電波に乗せてしまうなりふり構わない姿勢ひとつとっても、とてもじゃないがメディアを名乗る資格はすでにないと言わざるを得ないだろう。