『プライムニュース』に出演する森会長(番組HPより)


 東京五輪組織委員会・森喜朗会長の性差別発言に対する抗議の声が止まらない。ネット署名サイト「Change.org」で4日夜からはじまった森会長の処遇を検討や再発防止を求める署名にはすでに10万筆を超える賛同が集まり、さらにドイツやフィンランド、スウェーデンなどの駐日大使館や駐日欧州連合代表部、国連広報センターなどの機関が相次いで、「#DontBeSilent」「#GenderEquality」「#男女平等」というハッシュタグや片手を挙げた写真を拡散するTwitter運動をはじめている。

 だが、そうした動きを森会長や国際オリンピック協会(IOC)、菅政権は無視。さらに、辞任することを否定した会見のあと、森会長は『BSフジLIVEプライムニュース』(BSフジ)で、「(女性の話が長いというのは)根拠がないことで言ってるわけではないんで」などと撤回したはずの発言を自ら蒸し返し、「外国行って説明するわけにもいきませんからね。だからこれは私は撤回したほうが早いということで」と発言。ようするに、海外メディアが騒いだことの火消しのために撤回しただけで、実際には何の反省もしていないことを自分から開陳したのだ。

 これでもいまなお菅政権もIOCも辞任させることもなく東京五輪組織委トップにのさばらせている時点で、この国とIOCは差別に加担する恥知らずだと認めたも同然だが、そうした女性差別への意識の低さを露呈したのは政府やIOCだけではない。
 
 表向き森会長を厳しく批判しているテレビや新聞なども、世論や国際社会から大きな批判が上がったから慌てて乗っかっているだけで、実際はこの差別発言の問題性をわかっていないメディアが多数見受けられるからだ。

 実際、マスコミの報道は、初動から踏み込みが甘かった。

 最初に森発言をもっとも早く取り上げたのは朝日新聞デジタルだったが、本文では一言も「性差別発言」「女性蔑視」とは指摘していなかった。つづいて報じた共同通信や日本経済新聞なども同じで、「「女性理事は会議に時間かかる」森会長が蔑視発言か」というタイトルで報じた時事通信にしても、本文で〈女性蔑視とも受け取れる発言で、今後議論を呼ぶ可能性がある〉などと記述。疑う余地もない直球の差別発言なのに「蔑視発言か」「女性蔑視とも受け取れる」などと直接指摘することはなかった。英ロイター通信や仏AFP通信が「sexist remarks」(性差別発言)とタイトルに打ち、仏「20 minutes」紙では「TIRED」というタグで「森会長が時速320kmで性差別の高速道路を突っ走った」と伝えたこととは大違いだ。

 さらに、4日におこなわれた森会長の“逆ギレ会見”でも、幹事社の日本テレビ以外で質問をおこなったのは、日刊ゲンダイ、TBS、NHK、毎日放送、TBSラジオ、ハフポストの6社で、全国5大紙は一社も質問をおこなっていない。

会見映像では会場の様子がわからないため不明だが、これらの新聞社の記者は手を挙げていて指名されなかったのか、それとも挙手していなかったのか。

 その上、ひどかったのは“逆ギレ会見”を受けた翌5日の朝刊だ。毎日新聞は一面トップで「森氏「女性蔑視」批判の嵐」と見出しを打っただけではなく、総合面や社会面、スポーツ面でも大きく取り扱ったが、その一方、朝日の一面トップの見出しは「森会長、発言撤回し謝罪」。1面3番手の扱いにした読売は「森会長が発言撤回」、総合面で扱った産経は「森会長、「女性」発言を陳謝」、一面左端の日経も「森氏、発言を謝罪」という見出しだった。

 会見で森会長は「お詫びをして、訂正・撤回する」とは言ったものの、その中身は謝罪も撤回もなく、「女性の話は長いという認識なのか」と問われると「最近、女性の話を聞かないからわからない」などと女性差別を重ねた。そればかりか、質問をおこなった女性記者に「声が聞こえない」「マスクを取ってくれ」などと要求したり、NHKの女性記者が名を名乗ると「よくわかっています」とわざわざ圧をかけるようなことまで口にしていたのだ。

にもかかわらず、見出しを「謝罪」「撤回」「陳謝」などとするのは、まるで事実に即していない。問題の火付け役となった朝日でさえ一面トップの見出しが思考停止の漫然とした常套句でお茶を濁している点からも、この国のメディアの「意識の低さ」を浮き彫りにしている。

 さらに、毎日、朝日、日経は会見を受け、5日になってようやく社説でもこの問題を扱ったが、毎日と朝日が「五輪責任者として失格だ」(毎日)「森会長の辞任を求める」(朝日)と辞任に踏み込んだ一方、日経の見出しは「あまりにもおそまつな森五輪会長の女性発言」、本文も〈撤回することは当然だが、それだけですむことではないだろう〉というヌルいもの。読売は5日時点では社説に取り上げることすらなく、6日になってようやく取り上げたが〈女性差別と受け取られても仕方がない〉などと明らかに腰の引けた論調だった。

 しかしそれ以上にとんでもないのは、産経だ。産経は5日にコラムの「産経抄」で〈五輪招致から開催準備まで、森氏の大きな功績を疑うものではない〉と持ち上げたばかりか、〈海外メディアも問題視している。

というよりむしろ、日本に「女性差別の国」のレッテルを貼りたがってきた欧米メディアにとって、絶好のネタである〉などと記述。レッテルも何も実際に「女性差別の国」であることが露呈したというのに、この期に及んで海外メディア批判を繰り出した。また、本日6日の同コラムでも、〈「正しさ」で厚化粧した集団いじめに立ち会ったかのようで、割り切れない〉〈マスコミが一斉に大上段に構え振り下ろす「正義」は、うさんくさく危うい〉とわざわざミソジニー表現を用いて書いている。

 だが、この“ネトウヨペーパー”である産経並みにひどかったのが、ワイドショーのコメンテーターたちだ。どの番組も論調としては「森会長はひどい」というものだったが、しかし、そこで繰り広げられたコメンテーターの発言は、実際には擁護的なものも少なくなかった。

 そして、とりわけひどかったのが、橋下徹氏の発言だ。

 まず、橋下氏は4日放送の『ゴゴスマ』(CBCテレビ)で「おじいちゃんだから仕方ない」などと擁護したかと思えば、“逆ギレ会見”を取り上げた5日放送の『バイキングMORE』(フジテレビ)では、「僕はね、一部、森さんの気持ちがすごいわかるんですよ」などと言い出し、「森さんがこれまで7年間やってこられた会長としての職務はものすごい大変な業務」「森さんは7年間、ここまでやってきたのに、この一言でこんな言われようをするのかって腹の中でふつふつと煮えくりかえってったっていう気持ちはすごい伝わります」「俺、こんだけやってたじゃないか、と。しかも森さん無報酬ですからね」などと言い出し、こうも述べた。

「よく森さんの適任性って言われるんですけど、僕はこれだけの利害関係者がいて、政治とも競技団体とも調整をする、その実行力は森さんしかいないと思います。ただ、五輪は、国民を気分良く、楽しく思わせるもうひとつの要素があって、こちらはまったくダメ。だから2つを分けなきゃいけないと思ってて、僕は7年間、一生懸命やってきたことを評価した上で、この発言はダメだからちょっと引いてくださいってことを言わないと」
「あそこでうまく謝罪していたら許されるようなことだったのに、もうちょっと周りがちゃんとサポートして会見の段取り組めなかったのかな」

 橋下氏は「森さんは実行力がある。しかも無報酬だ」と言うが、本サイトで繰り返し指摘してきたように、森氏は招致に絡んだ買収疑惑の当事者であり、東京五輪開催に伴う建設利権を握ろうとしてきたとも言われている。

そうした“黒い実行力”を発揮してきた一方で、表舞台ではこれまでも組織委会長として数々の暴言を繰り返してきた。にもかかわらず橋下氏は森会長を「適任」だと強調するばかりか、何の反省もしていないことは明らかになっているというのに「うまく謝罪していたら」「うまく会見の段取りをサポートしていれば」などと形式だけを問題にしたのだ。

 さすがは口先だけで言いくるめてきた無責任・無反省男なだけはあるが、そもそも橋下氏は大阪市長時代、在日米軍幹部に対して「もっと日本の風ぞく業を活用してほしい」と発言し、この暴言が問題になると「戦争当時、従軍慰安婦が必要だったのは誰でもわかる」などと言い出した人物。しかも、沖縄で米軍属による女性暴行殺人事件が起こった際にも再び「風ぞく活用」を訴えるという卑劣さを露わにした。こんな人物に、何の批判もなく性差別の問題について語らせるワイドショーもどうかしているだろう。

 だが、信じられないコメントをおこなったのは橋下氏だけではない。4日放送の『ゴゴスマ』では元財務官僚で弁護士の山口真由氏が「会見は衝撃的だったんですけれども、私はああいう方を表に出してはいけないと、裏で隠然とした力を発揮してもらえばいいという、なんていうか欧米の“臭いものには蓋を”みたいなポリコレカルチャーにやっぱり若干、違和感がある」と言い、こうつづけた。

「『多様性』と言うならば、多様性にまったく理解を示さない83歳のおじいちゃまも社会からつまみ出してはいけないと思うんですね。あの方がああいう発言をするたびに私たちはそれを議論して、そして自らの行動をもって反証をしていく機会が与えられる。これをむしろポジティブに変えていけたらなというふうに思いましたけれど」

「表に出さずに裏で暗躍させればいい」というのは、まさしく森氏や橋下氏のような性差別主義者や、事なかれ主義で問題の本質を有耶無耶にしようとする日本社会の発想だが、それを「欧米的なポリコレカルチャー」などとすり替える……。だいたい、ポリティカル・コレクトネス=差別を許さず政治的公正さを求めることが進んでいないがために、この国はいまだに森会長が続投できる「性差別社会」が出来上がっているわけだが、それを「ポリコレカルチャー」と揶揄した挙げ句、「多様性」を持ち出して性差別主義者も認めろとは、無茶苦茶すぎる。しかも、「ポジティブに変えていこう」というのも、「批判ばかりではダメ」と言って結果的に批判を封じ込める、差別主義や冷笑主義の決まり文句だ。

 しかし、ワイドショーではこうした森発言擁護だけではなく、森会見での質疑に対するメディア批判までが飛び出した。5日放送の『ひるおび!』(TBS)では八代英輝弁護士が「撤回して済むものではない」としながらも、こうコメントしたのだ。

「記者の質問の仕方ってのもどうなのかなって。ようするに、『適任じゃありません』って記者の意見を言うことが記者なのか、それとも『私は質問する立場であって、お答えする立場にはないです』と答えるべきだったのか。そこの部分は僕はちょっとわからないんですけども、なんて言うんですかね、比較的記者の方は冷静に質問はしてたと思うんですけど、そのなかでだんだんだんだん森さんがヒートアップしてきてしまって、まあ、キレたような発言になってしまった」
「腹の中で本当は何を考えていらっしゃるんだろうってところで、やはり記者の質問が厳しくなってくるのは当然だと思うんですね。そこにまんまと乗ってしまったところはあるなと感じましたね」

 八代弁護士がここで「記者の質問の仕方ってのもどうなのかな」と問題に挙げたのは、会見で森会長に鋭く迫ったTBSラジオの澤田大樹記者の質問だが、実際には澤田記者が「オリンピック精神に反するという話もされたが、そういう方が組織委員会の会長であるのは適任なのか」と質問したら、森会長が「あなたはどう思いますか」と逆質問したために、「私は適任ではないと思う」と答えたものだ。つまり、訊かれたから答えただけなのに(しかもその回答はごく真っ当な意見だ)、それを「いかがなものか」といったように槍玉に挙げ、そうした記者の質問にはめられて森会長はキレたのだと八代弁護士はまとめたのである。

 明確な性差別発言を公の場で繰り出した五輪組織委トップが辞任すらしないという、女性が軽んじられつづけ差別が温存されるという異常事態が巻き起こっているというのに、実態と異なる「謝罪」「撤回」という定型句でまとめあげられ、「適任者だ」だの「海外メディアが」「記者の質問が」だのという筋違いの話で差別の問題がかき消されていく──。メディアがこの調子では、森会長はこのまま非難などどこ吹く風で居座りつづけ、「性差別発言がまかり通る」というこの国の問題は是正されないままになるだろう。だからこそ、「#DontBeSilent」、黙ってはいけないのだ。