邦ロック界で一二を争う映画論客とも言われるBase Ball Bearの小出祐介が部長となり、ミュージシャン仲間と映画を観てひたすら語り合うプライベート課外活動連載。

【動画】『家族を想うとき』予告編

今回はイギリスの巨匠、ケン・ローチ監督の『家族を想うとき』を観てきました。
劇場は年齢層が高めのお客さんで満員となっているなか、作品が示す問題をどう受け止めたのか。感想会はいつもより熱量が高くなりました……。
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みんなの映画部 活動第59回[後編]
『家族を想うとき』
参加部員:小出祐介(Base Ball Bear)、福岡晃子世武裕子
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■本作のモデルは、過労働で勤務中に亡くなったイギリスの配送業者の実話

福岡 私が映画観てて思い出したのは、極端だけど『闇金ウシジマくん』やな。普通の人がいつ陥ってしまうかもしれん社会の闇をリアルに描いていて、胸にドーンって来る。この映画って配送業と介護業の人は、特に「わかる~」って共感するかも。

世武 現実的に考えるとさ、悲惨な社会問題があるからこそ強烈なリアルを感じることを思うと、ただ良い映画だね! って喜べへんよな。


福岡 そういうことだね。

小出 実際この映画にもモデルになった人がいて、一日14時間、週6日労働で配送の仕事をしていたんだけど、糖尿病を患って診察の必要が出た。でも、仕事に穴を開けた際の罰金を避けるために無理して働いていたら、仕事中に亡くなっちゃった。それで労働環境がひどすぎるって、イギリスですごい社会問題になったらしいんだけど。

──個人事業主扱いだから組合も作るに作れない。社員だと組合を作る権利があるから、会社は個人事業主との契約にしている。


福岡 保険の問題もあるから市民病院でもすごい待たされたりしてたんかな。3時間待ちで、またそこから検査まで何時間もほったらかされるっていう。

小出 この映画もそうだし、前の『わたしは、ダニエル・ブレイク』でも主人公のおじさんは心臓の病気を抱えていて、仕事を止められる。だから失業手当を受けようとするんだけど、手続きが複雑すぎてたらい回しにされるのね。いつまで経っても手当を受給できない。誰もがどこかで社会のシステムの犠牲者で、弱い者が搾取される現実の歪みを冷静に描いているってことなんだよね。


■自分が立つ地面の延長線上にある問題を知るのも“映画を楽しむ”こと

──貧富の格差ということであえて『ジョーカー』と対比しますが、『家族を想うとき』は基本的に人間の温かみもあった映画ですよね。『ジョーカー』の場合はゴッサムシティという荒んだ社会全体が冷たく描かれていて。

小出 そのぶん『家族を想うとき』のほうが描かれている内容のレイヤーが複雑なんだと思う。

世武 そこがケン・ローチらしさだからかもしれないけど。『ジョーカー』っていうのは社会風刺をあえてブーストさせてるから。

小出 デフォルメしてね。


世武 この映画は丸ごと「悲鳴」って感じやな。もう助けよう、なんでもいいから! ってなった。

福岡 思った。でもちょっと気になったのがさ、今日のお客さん、めちゃくちゃ年齢層高かったじゃないですか。

世武 もちろんどんな客層の人にも映画は観られてほしいのが大前提で、これだけ今を切り取ったひりひりした現実問題を扱った映画に、シニア層しか関心を持ってないのはどうなの? っていう違和感みたいなのは結構感じた。やっぱりヨーロッパ映画とかって、今の若い人は観に行く習慣自体がないんかなあ。
それが残念やな。

小出 若い人が観たほうが映画の持つ役割みたいなものが、より発揮されるタイプの映画だと思うけどね。

世武 そう。今、社会で最もお金を生む世代の人がこの映画を観て、「なんかすごい悲惨だったね、かわいそう!」などとは言ってられないんだなっていう動きがほしい。

小出 だからこの連載を読んでくれている人がちょっとでも興味を持ったら、ぜひ観に行ってほしいなって思う。みんなで『スター・ウォーズ』を観に行くのはもちろん楽しいけど。
こういう映画を観て、自分の立っている地面の延長線上にある問題、すぐそこに迫ってきている問題を知ることも、考えることも、“映画を楽しむ”っていうことに入るんじゃないかな。

福岡 あえて先に言うと、逃げないで観てほしいっていうのはあるかも。キツくて難しい社会問題ってさ、避けたくなっちゃうじゃん、もう。でもこれ逃げたらね、本当に未来がなくなりそうな気がする。

TEXT BY 森 直人(映画評論家/ライター)