高橋維新[弁護士]

* * *

2015年10月14日にTBSで放送された「リンカーン芸人大運動会2015」を見て、思い出したことがある。

フジテレビ「IPPONグランプリ」という大喜利番組で、過去に出された「お題」とそれに対するダウンタウン松本人志の「答え」だ。
出された「お題」は次のようなものった。

 「小学5年生のたかし君に『微妙』というあだ名がついた。なぜ?」

いつの放映だったかはっきりとした記憶がなかったので、調べた。2012年11月17日放送の第7回大会だった。松本人志はこの番組に「チェアマン」という形で出演しており、実際の大喜利には参加しないが、最後に自分が考えた答えを発表するのが恒例になっている。松本はこのお題にもいくつか自分の答えを出していたが、最後に出したのが、

 「リンカーン大好き」

というものだった。
筆者の記憶では、松本が出したこの答えが、この回の「IPPONグランプリ」の白眉であった。

松本自身も感じているほどに、「リンカーン」(TBS)という番組は「微妙」なものだったのである。そして、それは筆者が膝を叩いて快哉を叫ぶほどに言い得て妙の表現だったわけだ。

「リンカーン」には、ダウンタウン・宮迫博之・さまぁ~ず、といった人気も実力も申し分ない芸人が多数出演している。高須光聖を代表とするダウンタウン系の放送作家も関わっている。オンエアを一瞥しただけでも分かるが、予算も相当使われている。


にもかかわらず、なぜ「微妙」だったのか。なぜ毎週見る気が起きなかったのか。なぜ8年足らずで終わってしまったのか。

そこで,今回の2015年10月14日に放送された「リンカーン芸人大運動会2015」である。「リンカーン」の通常放送自体は、2013年9月をもって終了している。その後、人気企画という触れ込みであった「芸人大運動会」が特番の形で2014年に放映されており、今回はその特番の2回目となる。


「リンカーン」の流れを汲む番組なので、出演者やスタッフは共通しているはずである。この番組を見ることで、筆者は「リンカーン」が「微妙」だった理由を改めて考えてみようと思った。

筆者が、番組を見る前に特に根拠もなく立てていた仮説は、「大物になったダウンタウンが辛い目に合わないからではないか」というものである。

ダウンタウンの魅力は、「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」(日本テレビ)で典型的に見られるように、体を張り続けていることである。ムチャぶりに答え続けていることである。

2人とも、そんな手みたいな形で笑いをとる必要もないほどの「べしゃり」の実力を持っているのに、それに甘んじずにカメラの前で辛い目に遭い続けているプロ根性の持ち主なのである。
こういう無様な笑いを忌避し続けている「とんねるず」には見習ってほしい生真面目さである。

「ガキの使い」では、番組特有の肉体的・精神的に辛い罰ゲームやムチャぶりの数々を50歳を超えた今でもこなし続けている。ダウンタウンは、とんねるずなら若手に任せて傍観者に徹するような企画やギミックにも自ら参加する。年末は1日がかりで尻を叩かれ続ける。

流石に五十路の松本も浜田も肉体的な衰えは隠せないため、若い頃よりは体を張らなくなっている。特に松本は収録中に色々な形でスタッフに文句を言う(今回の「リンカーン芸人大運動会2015」でも、冒頭の入場行進を終えた後に「もうこの時点で暑い」とブーたれていた)のが目立っている。


それでも受けなきゃならない罰ゲームは受けるし、ムチャぶりされればきちんと前に出ていく。

今回も松本は「奥さんへの愛の言葉を叫んでください」というムチャぶりをされた時に、きちんと答えていた。まだまだ、2人とも泥臭い「芸人」であり続けていた。

それは「リンカーン」の通常放送の中でも変わっていなかった。番組の「説教先生」という後輩芸人からダメ出しやムチャぶりをされる企画では、松本も浜田もきちんとムチャぶりに乗っかっていた。リアクションを求められる痛い・熱い・辛い仕掛けにもきちんと付き合っていた。


それは「リンカーン」の他の企画でも同じである。ブサイクな女芸人ともキスをした。男の芸人ともキスをした。鉄板でスベるギャグを無理やりやらされた。

無論、ダウンタウンがこういう辛い目に遭わずに傍観者に徹していた企画もあるが、そういう企画ほどあまりハネていなかった印象がある。つまり、「リンカーンが微妙だったのはダウンタウンが辛い目に遭わないからだ」というのは、基本的には間違いなのである。

では、「微妙」の理由はどこにあるのか。

「リンカーン芸人大運動会2015」を見て気づいたのだが、単に「編集がヘタ」なのではないか、ということだ。「こんなカットを入れなくていいのに」「こんな字幕要らないのに」「こんなナレーションを指示したのは誰だ」というような「微妙」な、おもしろさをスポイルする編集が随所随所に細かくみられる。

1個だけならそれほど気に入らないが、それが何個も何個も小刻みに入るので、見ていて非常に鼻につく。細かいものの積み重ねだからこそ、分かりやすく目立つダメ出しポイントがあるわけではないので、原因が掴みにくい。でも、全体としては「微妙」になってしまう。

今回の放映でもダメな編集はたくさん発見することができた。ここからは細かい話になるが、一つずつ説明しないとこの細かさが分かってもらえないので、一つずつ説明する。

まず、この「芸人大運動会」という企画は、あくまでお笑い番組のお笑いの企画であるため、視聴者に笑ってもらうことを至上命題としなければならない。一応、浜田組と松本組の対決という体裁がとられているが、その設定も笑いを生み出すための「装置」に過ぎず、対決それ自体がメインのコンテンツではない。

対決を通して様々に生じる現象や芸人たちの言動を笑ってもらえればいいのであるから、極端な話、最終的な勝負はつけなくてもいいくらいである。象徴的な言い方をすれば、例えば相撲対決をするのであれば、相撲を通して叩かれたり脱がされたりする芸人を笑えばいいのであって、勝敗は、笑いにつながらない限りはどうでもいいのである。

だから、対決の勝敗それ自体に興味を持ってもらうような編集は、全く不要である。

にもかかわらず、今回の放映でもこのような対決を煽る編集が随所随所に入っていた。例えば、各種目の前後にいちいち映像を止めて「絶対に負けられない戦いだ」「勝っておきたい団体戦だ」「チームへの想いが勝敗を分ける」「熱戦に続く熱戦で、最高の盛り上がりを見せている」などと字幕付きでナレーションに言わせたりしているのである。

似たような演出は他にもある。各種目の前後に、同じように映像を止めて「指令塔の指示が勝敗を分ける」と字幕付きでナレーションに言わせたり、芸人たちが勝つために話し合っている模様を「戦略会議」と形容したりする。

もう一度言うが、これは真面目な運動会ではないのである。彼らも勝つために練習をしているわけではないのである。スポーツ選手みたいなプロがまじめに練習してまじめに対決をするのであれば、対決を煽る演出は視聴者の興味を呼び起こしたり、その後の感動の布石になったりする場合もあるだろうが、芸人達は笑いを呼び起こすために集まっているのであって、対決それ自体を煽ってもしょうがないのである。

「戦略会議」の模様もおもしろければ放映してもいいが、対決それ自体に勝つためにやっているような緊迫感を演出で加えても意味がないのである。視聴者も対決の結果自体には興味がないのでそういう演出を入れられても白けるだけである。

こういう演出をするのは、実際に収録をしてみたところ肝腎の「おもしろさ」が足りなかったから(=撮れ高がなかったから)、敢えて違う方向で演出を加えてそれを糊塗するためという可能性もある。

例えば、違う番組だが、「キングオブコント」の煽りの演出はそのような傾向がある(http://mediagong.jp/?p=12734)。ただ、これだけ多くの実力派芸人が揃っている収録の場で、おもしろさが足りなかったとは考えにくい。端的に、編集した人にセンスがなかったからだとしか考えられない。

他にもある。

第4種目はパンストを顔にかぶった女芸人同士のパンスト早脱がし対決だったが、バービーと黒沢(森三中)の試合で、黒沢がバービーのブルマを掴んで持ち上げ、臀部を露わにするということをやっていた。

笑いの喚起を志向して、対決それ自体とは関係ないことをやるという黒沢の姿勢こそがこの番組の収録に臨む演者・スタッフのスタンスとしては正しいものである。編集権者は黒沢を見習うべきだが、試合の最後に「お見苦しいものをお見せして申し訳ありません」というナレーションが入るので黒沢(とバービー)のプロ根性に覚えた感動も台無しになる。

このナレーションは、ツッコミのつもりなのだろうか。臀部を露わにするというボケへの「見苦しいものを見せるな」というツッコミなのだろうか。そうだとすれば、臀部を露わにするというボケはそれ自体が強烈でツッコミがなくても笑いを呼び起こせるものであるため、不要である。全くの蛇足である。

ツッコミじゃなかったとしたらコンプライアンス的な配慮だろうか。ただ、本当に配慮するんだったら試合を全カットしないと話が通らない。やっぱり、こういうナレーションを入れた方がおもしろいだろうという編集権者の意図が透けて見える。でも、臀部が露わになった時点でオチているこのシーンに余計なツッコミを加える必要はない。この手の「よく使われるおもしろそうなフレーズ」をとりあえず入れておこうという安易な発想がスケスケなのである。

また、第1種目の障害物競走では、「障害」のひとつとして、ボールに貯められた白い粉の中にある飴を口だけで探し当てないとならないゾーンがあったのだが、宮迫が手を使って飴を見つけたことにゴール後に物言いがついていた。

ただ、「手を使ってはいけない」というルール自体が視聴者に周知されていないので、物言いが付けられても何が駄目なのかが一瞬分からなかった。もっと事前にルールを細かく周知する映像を入れておかないと、笑いにつながらないはずである。前述の煽りの映像を入れ過ぎたせいでこういったルール説明に割ける尺が足りなくなったのだとしたら、文字通り本末転倒である。

コンテンツそれ自体にもあまり褒められないものがある。

まず第2種目は52人の芸人全員が参加して地面に置いてあるパネルをひっくり返し合うという対決だったが、参加人数が多すぎるのでカメラもどこに注目していいかがよく分からず、散漫になっていた。どこか一点に注目しても、周りがうるさいので集中できなかった。もっと、参加人数は絞るべきであると考えられる。

昼休みには、参加芸人の各事務所が用意したという触れ込みの差し入れが紹介されたが、事務所と差し入れの紹介に終始しているので一つもおもしろくない。何かを褒めても笑いは生じないのである(http://mediagong.jp/?p=8317)。

最後にはオチとして吉本が用意したガリガリ君が紹介されていた。これは、もっと豪華なものを用意した他の事務所と比較して、大事務所の吉本が用意した差し入れがしょぼ過ぎるというボケなのだが、オチとしては華麗にスベっていた。

まずフリの役割を果たしていた他事務所の差し入れの紹介に尺を割きすぎで全体のテンポが悪いので、吉本のボケがいきなり出ても見ている方は面食らってしまう。もっとポンポンとテンポよくオチまで紹介していかないといけない。更に、ガリガリ君を紹介する前にまた映像を止めて「大事務所の吉本は一体どんな差し入れを用意したのだ」というナレーションが入るが、大ナタを振りすぎである。

このナレーションは、視聴者に「吉本であればさぞかしすごい差し入れを用意しているのであろう」と期待させて、実際にガリガリ君だと分かった時に落差をつけてボケを際立たせる「フリ」の役割を果たしているのだろうが、フリとして大きすぎるためにこの後の展開が見え見えになってしまう。

「どうせボケるんだろうな」と予想がついてしまうのである。フリとしては、他事務所のまともな差し入れを紹介するだけで十分だったはずである。

とりあえず、筆者の気付いた大きなところは以上である。

もう一度言うが、種目を含めた全体のプログラムを考えた人と、編集をした人に決定的にセンスがない。芸人がせっかく頑張ってもこのような料理をされてしまうのであれば浮かばれないだろう。

このダメな編集の原因はどこにあるのだろうか。通常番組の編集をするのはディレクターと呼ばれる立場の人間である。リンカーンの編集を行っているのが誰かはよく分からないが、TBSのディレクターにはフジや日テレほどこの手のバラエティのノウハウが蓄積していないのだろうか。そうだとしたら、大問題である。

そういえば、松本は、「ガキ」にしろ「ごっつ」にしろ、企画・構成の段階から番組に関わっているはずである。リンカーンについても、ポジション的には番組作成の根幹の部分にタッチすることができたはずである。

リンカーンが「微妙」だと気付いていたのなら、オンエアを見て編集が良くないことにも気付いていたはずである。

それでも松本が特に口を出さなかったからこそヘタな編集が放置され、結果として番組自体も終わってしまったのだと考えられる。松本が口を出さなかったのは、センスのないスタッフに失望したからだろうか。

それともそこまでやる気を出したくなかったからだろうか。

【 元の記事を読む 】