「高齢者は人の話を聞かない」とは?

気がついたら日常で一番若くて動けるのは63歳の妻。次がボク。そして89歳になる義父と義母の順番だ。

厳密に言えば娘なんかもいるのだが、平均年齢の高い家族で会話することが多くなった。

話を聞いていると、「漫才よりも面白いよなあ」と思う。よく、高齢者は人の話を聞かないというが、人の話を聞かないどころの問題ではない。自分の話したいことを話して、しかも割とそれは続く。

話している相手もその中の単語だけを頼りに違う話をしている。だから、違う話が平行線で続いたりする。はたから見ていると全く噛み合わない話をよく長々としていられるなあと思ってしまう。

まず、耳がよく聞こえない義父は自分の話したい話をズンズンと進める。

例えば、最近庭の手入れに情熱を傾けている義父が「せっかくイチゴの畑に、いい土と肥料を新たに入れたのに何者かがやってきて(小動物か、虫か鳥か?)それを掘り起こして持っていってしまう。餌になるのかなあ、よくわかってる。掘り起こすんだぞ、全く頭にくる」そんな話を怒りながら披露していた。たわいも無い愚痴のような話だ。

何を勘違いしたか義母は「そんなこと言ったって、うちの庭に誰かが入って土を掘り起こすわけない」と聞こえない義父に向かって反論を始める。誰かが悪意を持って土を掘り起こしていると勘違いしたようだ。

そんな馬鹿げた話をしている(と勘違いしている)父を嗜めている。義父は聞こえてはいないのだが、義母の口調で何か怒って反論されていることだけはわかるようだ。

「俺があんなに一生懸命やっているイチゴを!こっちのチューリップの花壇は大丈夫なのに、イチゴの方だけやり直してもまたやられるぞ」と自分の話したい話を進める。

「やり直してもやられるなんてそんなわけないじゃない」と義母。全く違う方向で話しているのだが何となく二人とも怒っている。しかも義母が言っている話は全くと言っていいほど義父には聞こえていない。

それなのに二人で違う話をずっと話している。それからしばらく、自分の思っている違う話を披露する。義母の話は詐欺師の話にまで及んでいた。

我が家は、3人いる要介護者のため朝から晩までひっきりなしにヘルパーさんやリハビリの方、病院の先生、さらにはボクの仕事の人々が訪れる。

そんな時間を縫って庭まで入ってきて荒らす誰かなんてやってこれる訳ないじゃないかという見解だ。

 

確かに難しい。もともとカラスなんだから(ボクの見解)そんな人いる訳がないのだけれども。

しかも横で聞いているボクは全く話せない。

「いやいや、お義母さん違うんですよ。お父さんはカラスかなんかの鳥が掘り起こしているって言ってるだけで、誰かがやってきて畑を壊してるって話じゃないですよ」と言いたいがそれもできない。ちょっと苦笑いをしてしまう。

それに対して義母が、「全く!そんなわけないじゃないね」を同意を求めてきた。途中で入ってきた妻が「話してたって聞こえてないよ、違うこと言ってるよ」と伝える。訳がわかっていない妻の参戦である。これでは、ますます話がややこしくなる。

妻は聞こえていないのに義母が話していることを一番重要視している。

詐欺師はこんな家を狙うような大切な話をしているのに、父にはわかっていないという点だ。話はずれまくっているが今話している、一番大切な話。

義母と妻の間でちょっとした言い合いが始まる。

「そんなこと言ったってじーさんが誰かが庭に入ってきて穴を掘ったっていうのよ」「え~~何でええええ、そんなはずないじゃない。」

オイオイ違うんだってば。ボクはついに大笑いだ。

「パパなんで笑ってるの?」4人同じ部屋で麗かな春の小さな庭を見ながら、それぞれの話をしている。義父には聞こえないので大きな声になる。側から見たら喧嘩をしているようにも見えるかもしれない。でもそうでもないのだ。

ハンガーを無くした犯人は…

こんなこともあった。物干し竿にかかっている洗濯用のハンガーがなくなる問題が発生したことがあった。几帳面な義父は洗濯物を取り込んだ後のハンガーを、その物干し竿の横に収納できるようにしている。義母はそこに片付けたと言っている。

朝、洗濯物を干すとき、そこにあるはずのハンガーがないので義母がどこにしまったか、妻に問いただす。

「しらないって、触らないもん」

「だってないのよ、おじーさんかしら」

おじいさんは片付けたと言って「知らない」という。

「知らないって言われたってないんだから」と義母。

「知らない」というのはカチンとくるワードだ。話そのものを聞かないという表明でもある。

その後またハンガーがなくなり、ついに義母にはボケたかという濡れ衣まで着せられた。

が、リビングからカラスが物干し竿にかかっていたハンガーを摘んで持っていった光景に父が遭遇したのだ。犯人はカラスだった。カラスも周りをキョロキョロかなり様子を窺って、ハンガーを起用に持っていったそう。

 

でっかく丸々と太ったカラスで、隣のわんちゃんより大きいほど。適切な例を出し、わかりやすい目撃談を話した。

義父は巣作りのためにカラスがハンガーを持っていったと、犯人がどんなにすごいやつだったかを話してくれた。

「だから言ったじゃないの。ないって」

義母はようやく自分の主張が正しかったことが認められた話をする。その二つの話は、同時進行で行われ、相手の話に返事を返している風でもない。

まあ、義父には聞こえていないので、義母の話に返事はできないだろう。でも二人の会話はそれで成り立っているようでもある。同じ部屋で聞いていると右のスピーカーと左のスピーカーで全く違う話が流れてくる、なんなら違う言語で話しているくらいな感じである。

ふむふむ、義父はこの話をしたいんだな、義母はこう。そうボクは二人の話を聞く。大丈夫なんだろうかと心配になってしまうが、当の本人は自分の話が済めばそれで終わる。黒やぎさんと白やぎさんの歌を思い出す。

話が通じるか通じないかは大したことではない

最近血の繋がっていない義父母との生活が、もうすぐ自分の父母と過ごした期間よりも長くなる。両親と一緒に暮らしたのは大学で東京に出てくるまでの18年。

義母と同居してからもう18年はとっくに過ぎた。家族なんだなあとしみじみ思う。

話せないボクと聞こえない義父。それと義母。義父母も、もう結婚60年をゆうに過ぎていろいろあった人生だろうが、最近では義父があれこれ家の仕事をやったりと、義母を労っている。

昔の人間だから家の掃除なんて任せっきりだったみたいだが、今は朝のゴミ出しから台所の掃除まで多岐に渡り義父の役目になっている。義母は、「大体おじいさんとだって他人だった訳だから。でも結婚して家族になった。神足くんだって同じよね。」そう言う。

確かにそうだ。未だに義母はボクを神足くんと呼ぶ。でもその“神足くん”にはいつも愛を感じる。話をしなくたって、通じなくたって「まあ、いいじゃないか」と思ってしまう。妻というトリリンガルな(義父、義母、ボク)通訳がいないと、ほとんどが通じないことが多いのだけど、通じたからってまあね、大したこともない。

通じてないかもしれないが麗かな春のお茶の間はのんびり時が流れている。

よく、テレビや小説で見聞きしていたようにお茶を入れて、お茶菓子が数種類置いてあったり、漬物が置いてあったり、いらした方にはすぐ振る舞える。昼間仕事がない時はボクもご相伴に預かる。ワイドショーを見ながらお茶を飲んでチグハグな話をする。そんな毎日が好きになった。

ただし、例外がある。ものすごく大事な話の時は、義父は補聴器をつける。すると当たり前だが真剣な話し合いとなる。ちゃんと話の辻褄も合っている。ならば、補聴器をいつもつけていればいいと思うのだが、補聴器はスペシャルの時だけらしい。嫌いなんだって。

今日もとてもいい天気なので、庭の世話をしている義父。庭での発見を3時のお茶の時間に話してくれるだろう。

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