コロナ禍でリモート診察システムの需要が高まっている。京セラ株式会社製の「ヘッドセット型ウェアラブルシステム」は、リハビリ治療中に患者のバイタルデータをリアルタイムに取得できる画期的なシステムだ。
【ビジョナリー・平野朝士】
- リモートリハビリや診療をサポートする「ヘッドセット型ウェアラブルシステム」
- 医療向けにスピード感を持ってシステムを改良
- 健康寿命を延伸し医療・介護現場の負担を軽減する機器を開発していきたい
リモートリハビリや診療をサポートする「ヘッドセット型ウェアラブルシステム」
弊社が開発した「ヘッドセット型ウェアラブルシステム」は、離れた場所にいる患者さんのバイタルデータ(血中酸素飽和度【SpO2】など)をリアルタイムに取得しながらリハビリ指導を可能とするシステムです。
ヘッドセットを装着すると、耳たぶからバイタルデータが送られると同時に、患者さんは骨伝導で医師の声が聞こえるようになっています。イヤホンのように耳を塞ぐ仕様にはなっておらず、アラーム音などの周囲の音も同時に聞き取ることができるため、患者さんは危険を察知しやすく、安全にリハビリ訓練を行うことが可能になります。
昨今の新型コロナウイルス感染症の流行で、肺炎を生じ呼吸器機能が低下する患者さんが増加しています。血栓を防ぐためにも、患者さんには心肺機能を回復させる早めのリハビリが必要とされます。
通常、感染症にかかった患者さんのリハビリを行うには、防護衣に着替えてレッドゾーンに入らなければなりません。しかし現在開発中の「ヘッドセット型ウェアラブルシステム」を使えば、レッドゾーンに入ることなく、自立歩行可能まで回復した中等症患者さんのリハビリを行える可能性があるのです。
始まりは過酷なモーターレース「ダカール・ラリー」昨今のコロナ禍でのリモート診療でも需要が見込まれる、「ヘッドセット型ウェアラブルシステム」。その始まりは、世界で最も過酷なモータースポーツイベントとされる「ダカール・ラリー」にあった。
アルゼンチンやボリビアなどの海抜3,000メートルを超える高地や砂漠などの荒野を数日間にわたって連続走行し、総走行距離は10,000キロメートル以上にもわたる過酷なレース、「ダカール・ラリー」。長時間オフロードを走り続ける車やバイク、ドライバーの疲労は言うに及ばず、メカをメンテナンスする人間にとっても過酷な日々が続く。
標高4000メートル級の高山ステージでは、毎年高山病にかかるメカニックが続出。
京セラは、このレースに参加する(株)ホンダ・レーシング「Monster Energy Honda Team」のテクニカルスポンサーを務めていた。そして、ホンダ側からチームスタッフのバイタル測定装置開発の相談が持ちかけられたことがあった。そこで開発制作されたものが「ヘッドセット型ウェアラブルシステム」のプロトタイプというわけだ。
メンテナンス作業に支障をきたさないよう両手が使えるヘッドセット型にし、耳元でバイクエンジンの爆音が炸裂しても、指示の声が聞き取れるよう骨伝導スピーカーを用いた。また計測中は骨伝導スピーカーから音楽を流して、被験者がリラックスして、正確なバイタルデータが取得できるように工夫した。
そして「ヘッドセット型ウェアラブルシステム」を用いてレースに臨んだ2018年。「Monster Energy Honda Team」は標高4000メートル級のボリビアの高地ステージにおいても誰一人、高山病にかかることはなかった。
このシステムは、建設業界からも注目を集めた。作業に携わる人のバイタルデータを取得することで、安全な作業が可能になるからだ。
ダカール・ラリーの後、閉鎖された空間で大きな音を響かせながら行われるトンネル工事などの安全性を高めていきたいと、平野氏は清水建設(株)と共に「ヘッドセット型ウェアラブルシステム」の改良を行い、CEATEC JAPAN 2019にブースを出展する。
そこで、現在共同でシステムの臨床開発を行う東京医科歯科大学との出会いがあった。
医療向けにスピード感を持ってシステムを改良
東京医科歯科大学からの共同研究のオファーをいただいた時にはびっくりしました。現在は製品開発に向けて、東京医科歯科大学病院で臨床研究を行っています。
私たちのデータをもとに、医師の先生方が患者さんの診断をすることになりますから、より一層データの測定精度を向上し、使用感を含めたシステムの完成度を高めなければならないと思いました。システムの操作性が悪いだけで、患者さん第一を考える医療従事者は採用してくれませんから。
医師・看護師の方々は、スピード感を持って日々患者さんと接しています。医療の最前線で頑張る方々の気持ちに応えるために、システム改良にもスピードが必要だと考えます。医療従事者の方から「ここを直して」と言われたら、すぐに取りかかるようにしています。
日々システムをバージョンアップ「ヘッドセット型ウェアラブルシステム」の製品化に向けて、2020年2月より東京医科歯科大学循環器内科と共同で研究開発が行われている。大学内にシステムの研究室が設置され、平野氏は京セラの社員ではあるが、現在は多くの時間を大学の研究室内で過ごし、システムに改良を加えている。
医療向けを目指すことで、その精度は格段に向上した。より多くの必要な情報を医療従事者に提供できるようにデータの見せ方が工夫され、わずかな変化も逃さないよう、モニターの粒度もできる限り細かくされた。数種類のデータを同時にチェックできるような画面の配置など、日々現場ユーザーからの声が吸い上げられ、さまざまな改良が重ねられている。
今後はデザイン面にも改良を加え、現在の無骨なスタイルからもう少しつけ心地のよい、軽いものへと変えていく予定だ。
平野氏はシステム開発において、簡単、便利、誰でも使えるという点を重要視している。「ヘッドセット型ウェアラブルシステム」も、リモート環境で患者さん自身が装着し、スマホ端末の設定をしなければならないため、できる限りの簡略化がなされ、ユーザー目線で設計されている。
そのおかげで、スマホを一度も触ったことがない高齢者でも無理なく、ヘッドセットを装着し、スマホ画面のセットアップができているとのこと。
隔離が必要なレッドゾーン患者が自力でセットアップができない場合、誰かが防護衣を着てその患者のために指導に向かわなければならない。そういった手間からこのシステムは医療従事者を解放する。
健康寿命を延伸し医療・介護現場の負担を軽減する機器を開発していきたい
「ヘッドセット型ウェアラブルシステム」の原型がダカール・ラリーにあったように、私は元々は移動体無線の研究者です。通信分野の研究を主に行っていましたが、今はこのように、医療分野の研究にも携わっています。
医療と通信の関係は年々近づいています。「ヘッドセット型ウェアラブルシステム」を進化させて、本来なら来院が必要になる検査を誰もが簡単に扱える装置で行えるようにできたらと思っています。そして、その情報を遠隔地の医師のところまで飛ばせるシステムまで発展させていきたいですね。今のところは夢ですが(笑)。
そんなシステムが地域の公民館などにひとつあれば、誰もが簡単に健康診断を受けられるようになり、健康寿命の延伸につながる可能性があります。
電子機器の大手メーカーとして、京セラは現在、介護現場の負担削減を減らすシステムの開発を目指している。
平野氏と共にメディカル機器の開発を担う、センシング開発2課でテーマリーダーを行っている大和田靖彦氏は、「シニア向けのケータイやスマートフォンなど、高齢者向けの通信機器開発で培ってきたノウハウを応用したシステム設計で、老老介護に近い実態の介護職員の負担を減らしていきたい」と言う。
「介護職員の高齢化も進んでおり、デジタルアレルギーの方も多いです。そういった方々のデジタル機器への心理的ハードルを下げて、機器の小型軽量化と、介護記録の作成などがワンタッチの指一本で簡単に行えるものをつくっていきたい。そして職員の方々をノンコア業務から開放し、コア業務に特化した職場環境になるようなお手伝いをしたいと思っています」(大和田氏)
2021年には「ヘッドセット型ウェアラブルシステム」より派生した「スマートグラス」も登場し、効果的な医療・介護サービスの提供に向けた研究開発が進められている。
「スマートグラス」は「視線を患者さんの動きから外すことなく患者さんのバイタルデータをチェックしたい」という現場の要望からできあがった。ウェアラブルのモニターとしてメガネレンズに情報が表示されるので、目の前に広がる現実空間を見ながらデジタル情報も見ることができる。
現場からの要望にはできる限りのことをしていきたいというポリシーの元、新製品の研究開発に尽力を注ぐ平野氏。そして京セラメディカル開発センターセンシング開発部。
医療・介護現場の負担削減を目指し日々研究がなされている。
※2022年3月10日取材時点の情報です
写真提供:京セラ、インタビュー撮影:林 文乃