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先生のところでお世話になるきっかけを作ってくれたのは、一足先に木谷門下生になっていた15歳上の兄、祥衍(七段)です。「ぼくは入門が遅かった。治勲はまだ間に合うから」と両親を説得したそうです。
叔父にあたる趙南哲(九段・韓国棋院名誉理事長)さんもいろいろと骨を折ってくださったと聞きました。南哲さんも木谷門下生。日本棋院初の韓国出身棋士でした。
林先生はぼくをサポートするように打ち進めてくれてね。最後は中押し勝ち。打ち続けていたらどうなっていたか分かりません。ただ、木谷先生はとても喜んでくれました。
韓国では碁の天才と呼ばれていました。しかし道場には日本全国から天才が集まっています。確か加藤(正夫名誉王座)さんが10歳上、石田(芳夫・二十四世本因坊秀芳)さんは8歳くらい上だったかな。歳の差も大きいですが、力量も全く違った。
ショックです。自信喪失。やる気がなくなりました。周囲に持ち上げられて生きてきたぼくは真っ逆さまに転落ですよ(笑)。
そのうち道場には光一(小林名誉三冠)さんがやってきた。旭川の天才は、はっきり言って弱かった。
木谷先生が宣言した「10歳までに入段」はかなうはずもなく…。そこで厳しく叱られました。「国へ返す」と。この一言は頭を大きな石でガツンとやられたかのような衝撃でね。ようやく真剣に勉強する気が起こりました。ぼくの木谷道場での生活が本当にスタートした日だと思っています。
■『NHK囲碁講座』2015年2月号より