『NHK俳句』に連載中の講座「びっくりして嬉(うれ)しくなる俳句」では、俳人の池田澄子(いけだ・すみこ)さんが、読んでみてハッとするような驚きの発見がある俳句を紹介しています。9月号の兼題は「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」です。


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曼珠沙華(まんじゅしゃげ)は、彼岸花(ひがんばな)、死人花(しびとばな)、または幽霊花(ゆうれいばな)とか捨子花(すてごばな)などの名を持っていて、多年草ですから、少しずつ殖えながら、ある日、同じ所にいっせいに現れていっせいに咲きますね。残暑が厳しかったり、いやに涼しかったりしても、不思議なことにお彼岸になるとどっと咲いて感心させられます。好きな人は無性に好きで、でも縁起が悪いと嫌う人も居ます。
ある日、蕾(つぼみ)を束ねたような茎(くき)の頭が現れて、すいすいと伸びて、数日後にはわっと咲きます。その唐突さも、好かれたり嫌われたりするのでしょう。
西国の畦(あぜ)曼珠沙華曼珠沙華
森 澄雄(もり・すみお)
潔さが抜群。
なんの思いも感想も述べられていません。その群生の赤い花だけ、いえ、花の色だけが見えます。畦の形に真っ直ぐ、そして直角に曲がったりしている赤のかたまりだけ。他のモノは一切無視で、これは作者の一種の集中力でしょうか。
つきぬけて天上(てんじょう)の紺(こん)曼珠沙華
山口誓子(やまぐち・せいし)
こちらは、曼珠沙華と空です。すっくと伸びた茎の先に咲く形状が、「つきぬけて」という言葉を呼び寄せたのでしょうか。
曼珠沙華に対しているものは「天上の紺」、それも「つきぬけて」と言いたくなるまでに晴れた天だけです。作者の興奮が伝わってきます。その興奮ゆえの気負いが、好みを分けるかもしれません。誓子が療養生活をおくっていた昭和十六年の作であることを思うと、自然の花への、ひれ伏すような思いが想像できます。しかし感動を言葉にするのはとても難しい。自分が感動しても言葉はそれを伝えられるのか。
読者に感動してもらうことが出来るのか、難しいことです。この句はそんなことも考えさせます。
■『NHK俳句』2015年9月号より