
モータリゼーションが進み、今やクルマは一家に1台どころか、一家で2~3台所有していても驚きがないほど、一世帯あたりのクルマの所有率は高まっている。自動車の大衆化が本格的に始まったのは、1955年に通産省による「国民車構想」が発表されてからのこと。定員4人、最高速度100km/h以上、エンジン排気量350~500cc、燃費30km/L以上、販売価格25万円以下という非現実的な国の構想だったが、いくつかの自動車メーカーはこの計画に呼応して、小型自動車の試作を開始した。トヨタ自動車工業もU型エンジンの原型となる開発ナンバー「4E」エンジンで試作車を製作。60年の第7回全日本自動車ショーで小型乗用車を発表するとともに車名を公募して、翌61年6月に「パブリカ」として発売を開始した。
「国民車構想」に端を発して開発されたパブリカだが、機能性とコストダウンを重視するあまり、外観、室内ともに簡素で大衆からは支持されず、2年後にデラックス仕様を追加するまで鳴かず飛ばずの状態だった。
そんな状況をふまえて、69年4月にボディをひとまわり大きくした2代目のKP30系型パブリカをリリース。2ドアセダン、2ドアバン、ピックアップの3種類をラインナップして、新たにカローラ用の1.1Lと廉価版用の1Lの水冷直列4気筒エンジンを追加している。