
サーキットを駆け抜けたハチマル車たち グループAから始まりJTCCへと続いた全日本ツーリングカー選手権。その魅力は何といっても、街を走っているクルマがサーキットでバトルを繰り広げるという親近感。グループAにいたっては外観の変更は一切禁止というのだから、ファンはひいきのクルマにより感情移入しやすかった。次々にハイスペックのスポーツモデルが登場した時代ともリンクして、80年代から90年代のレースは空前の盛り上がりを見せたのだった。
グループAが開幕した当初、トヨタの主戦場はディビジョン3(1.6L以下の最小クラス)だった。1985年はAE86カローラレビンが数多くのチームから参戦。1986年にはその後継としてAE82カローラFXをトムスなど有力チームが投入。両年ともにクラスチャンピオンを獲得するという輝かしい結果を残した。この実績をもとに、トヨタはついに翌年からディビジョン1への進出を決定する。

1987年、グループAトップクラスのディビジョン1で戦うためにトヨタが選んだのは、MA70スープラだ。3L直列6気筒ターボの7M‐GTEU型を搭載する3.0GTターボをベースにしたグループAマシンは、1987年シリーズ第4戦・菅生で華々しくデビューウィンを飾った。ディビジョン3での勢いそのままに、スープラはディビジョン1でもトップ争いを繰り広げると期待された。しかし、その後は思うように結果がついてこない。表彰台に上がることもあったが、リタイアや下位に沈むことが多かった。そんな状況を打破するためにトヨタが目を付けたのが、「エボリューションモデル」だ。