
MEMORY OF THE RACE「JTC」
1985年のJTC開幕時に「史上最強のスカイライン」として注目を浴びたDR30ターボRSだったが、基本設計にレース要素が加味されていなかったため苦戦を続けた。こうした事情は次世代モデルのHR31型でも変わらず、日産勢はスカイラインのモデルチェンジ後も、やむなく旧モデルのターボRSを2シーズン延長して使い続ける事態を強いられていた。
GTS-Rはこうした状況下で急きょレース対策を施したレーシングベースとして企画され、事後の改造が許されないタービンや空力パーツといった主要部位を生産車の段階から装備するモデルとして作られていた。
実際その効果は大きく、リコーカラーのニスモカーがスピードでシエラ勢と互角であることを示し、1989年にはリーボックカラーの長谷見昌弘が、JTCチャンピオンを獲得する走りを見せた。しかし、グループAカーとして積み残した課題はまだ多くあり、ここでの反省材料が次期レーシングベースの車両、すなわちR32GT-Rですべて生かされることになる。
1987年式 日産 スカイライン 2ドアスポーツクーペ GTS-R (HR31) 主要諸元
全長×全幅×全高(mm) 4660×1690×1365
ホイールベース(mm) 2615
トレッド前/後(mm) 1425/1420