プラザ合意による急激な円高を背景に、株価や地価が上がり、バブル景気にわいていた。
イケイケの時代になり、ニッポンは活気にあふれた。
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怖いものなしで、日本の自動車メーカーも元気を取り戻している。
販売は好調だったから強気に販売計画を立て、海外にも積極的に進出するようになった。
自動車誕生100年を迎えた時、日本は世界一の自動車王国に君臨したのだ。
時代に先んじて排ガス対策に乗り出した結果、環境性能では他国を寄せ付けなかったし、性能面でも先輩である欧米と肩を並べるまでに成長。
最先端エレクトロニクス技術も世界をリードした。
乗用車の生産は800万台に迫り、その後も伸びていく。
メカニズムにも新しい技術が盛り込まれた。
ターボやスーパーチャージャーも積極的に導入している。
昭和末期の88年にトヨタはマークⅡ/チェイサー/クレスタの3兄弟をモデルチェンジした。
ディーゼルエンジン以外はDOHCとし、ツインターボとスーパーチャージャーも設定する。
日産はセドリックとグロリアに全幅1770㎜のワイドボディを採用し、電子制御エアサスペンションを組み込んだシーマを投入。
大ヒットし、「シーマ現象」の言葉をも生んだ。
また、4代目のS13シルビアやマルチパーパスミニバンのプレーリーを新世代にしている。
セフィーロも誕生した。
バブルの後押しを受け、最後に大輪の花を咲かせた昭和は、89年1月7日に幕を閉じている。
そして年号は平成に変わった。
平成バブルが始まり、日経平均株価は一気に4万円目前まで上昇する。
自動車業界も元気だ。
4月に導入した消費税が追い風となり、高級車や高性能車、RV車などが販売を大きく伸ばした。
時代が平成に移り変わった元年の89年は、日本車のビンテージイヤーである。
今、振り返っても名車、傑作車が多い。
歴代シルビアのなかで、最多販売台数を記録したのがS13。
それまでスポーティー路線だったシルビアだが、このS13はデートカーにシフト。
とはいえFR+ターボエンジンというパッケージにより、走り好きファンからも支持された。
任天堂が開発したゲームボーイが発売されたのは、89年4月のこと。
カセット交換式の携帯型ゲーム機としては画期的で、のちにさまざまなカラーバリエーションや、ゲームボーイポケット、同ライトといった派生機種も誕生した。
かつて東京モーターショーが行われ、現在も毎年東京オートサロンが開催されている千葉県の幕張メッセ。
クルマ好きになじみ深いこの施設は89年10月に設立。
ちなみに隣接する千葉マリンスタジアムは90年開場だ。
ハチマルヒーロー 2019年 05月号 vol.53(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)