●64年式 アストン・マーティン DB5

経営危機の連続だった創成期

 ライオネル・マーチンとリチャード・パムフォードが1913年に設立したパムフォード&マーチン社は、もともと英国車Singerの代理店だった。

 その後、彼らがヒルクライムに出場して得た経験からIsotta FraschiniのシャシーとCoventry Climaxの4気筒エンジン搭載のクルマを開発。


 出場したヒルクライムのあるアストン村を由来とするアストン・マーチンと名付けられた。

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 当時の個人経営メーカーとしては当たり前のことだったが、新しいクルマを開発してはレースに出場。ファンを増やし販売に繋げ、その利益でまた新しいクルマを開発するという自転車操業。経営は不安定で、次々にオーナーが変わっていく。

 チキチキバンバンで有名なルイス・ズボロフスキー伯爵の援助などで立て直すも、25年にパムフォードが共同経営から手を引くとともに倒産。
その後、メカニックであったアウグストス・ベルテリとウイリアム・レンウィックがアストン・マーチン社として再建。このときに確立されたエンブレムのデザインが、その後も使い続けられ、現在まで使用されている。

 経営者が変わっても経営は安定せず、ゴードン・サザーランドに買収された時も、マーシャルプランで有名な47年の欧州経済危機を乗り越えることができず、デビッド・ブラウンがただ同然で買収。彼が同時期に買収したラゴンダの社名を合わせ、現在の正式社名であるアストン・マーチン・ラゴンダ社として経営の立て直しを図った。

映画007「ゴールドフィンガー」のボンドカーとして初めて登場したDB5 |アストン・マーチン DB5 Vol.1


映画007のボンドカーとして登場したDB5。トランクリッドに取り付けられたエンブレムはシンブルな書体だが、それがかえって英国紳士の気品のように感じられる。


映画007「ゴールドフィンガー」のボンドカーとして初めて登場したDB5 |アストン・マーチン DB5 Vol.1


フロントフェンダーにあるエアインテーク。中へと折り込まれた造型はハンドメイドならではの特徴。

映画007「ゴールドフィンガー」のボンドカーとして初めて登場したDB5 |アストン・マーチン DB5 Vol.1


スーパーレッジーラ工法を採用し軽量ボディを実現したDB5。それをを示すSuperleggeraのエンブレム。

映画007「ゴールドフィンガー」のボンドカーとして初めて登場したDB5 |アストン・マーチン DB5 Vol.1


アウグストス・ベルテリがオーナーの時代に確立されたエンブレム。DBシリーズのみASTON MARTINの上にDAVID BROWNの文字が刻まれている。


掲載:ノスタルジックヒーロー 2012年12月号 Vol.154(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)