オリコン、日本コロムビア、オスカープロモーション……。どれも日本のエンタメ界を支える名だたる会社だ。
そんな水上さんは現在、フジサンケイグループのグループ企業の相談役をしながら、「田園調布耳鼻咽喉科医院」というクリニックでCEOを務めている。
「開院して1年ほどですが、来院数はお陰様で順調に増えていて、朝から受付がいっぱいになることも多いんです」。
華やかな外装と清潔感溢れる院内。上品な空気に包まれた院内で迎えてくれた水上さんは、うれしそうにそう話す。
じつはこのクリニックは、妻・真美子さんが医師として勤務し、水上さんが経営者を務めている。遠方から足を運ぶ方も多く、その人気の秘密は丁寧で高度な診療はもちろんのこと、ホスピタリティの高さにある。
迅速な受付対応をはじめ、曜日によっては、早朝7時からや、夜20時までの診療も実施。さらに院内でオペまでできるというから、“街のお医者さん”という域を超えている。水上さんはそんなクリニックで診療がスムーズに運ぶように、いつもは白衣を着ながら陣頭指揮を執っているのだという。
エンタメ・メディア業界から医療業界へ。
挑戦し続ける。その精神基盤が形成された20代
大学卒業後、新卒で大手金融業機関に入社。水上さんの何かに挑み続ける人生のきっかけは、ここで生まれた。元々は経験豊富な社員しか所属できない新規事業推進部門に、新入社員で抜擢されたのだ。
「右も左もわからない状態のなかで、無から有の事業を生み出す。ハードではありましたが自分が興味を持った分野であれば、どんどん開拓できる面白さがありました。それが自分の挑戦の出発点ですね」。
新規事業の推進担当として事業に着手した水上さん。既存事業に新規事業を付加したうえで、数字を出すことを命じられ、結果を出した。その後、コンテンツとデータの融合によって事業を大きくしていくことに面白みを感じ、理念に共感したオリコンに26歳で転職。当時、エンタテインメントの在り方は大きな変遷の時期にあった。
「1990年代、ゲームやCMはもとより、本などにしても、音楽との関わりがより深くなったことで、エンタテインメントの広がりには各データが必要な時代でした。オリコンではデータに基づくランキングなど、総合エンタテインメントとしてデータと音楽を絡めていくことを重視していました。そこで早々に重要な立ち上げの仕事を担当させてもらいました」。
オリコンに転職後、持ち前のバイタリティと企画力で20代にして一気に取締役まで駆け上がった。スピード昇進を成し遂げた秘訣を聞くと、「自分が面白いとか前向きに取り組みたいと思うものに対しては、何時間でも仕事をしてしまう。そういうタイプだっただけです」と語る。
エンタメの提供をビジネスにつなげるという大きなミッションを背負うなかで、急速に社会は情報化し、「データ」は貴重な財産となった。エンタテインメントのデータといえば、オリコン。今では当たり前となりつつある、そんな一時代を築きあげる一翼を担ったのだ。
若くして辿り着いてしまったトップの座
その後、期せずして、アスキー系グループ会社の代表取締役社長就任の話が舞い込み、オリコンを辞することを決意するが、当然葛藤は大きかったという。
「一緒にやってきた方々ともうまく連携して結果も伴ってきていたので、迷いはすごくありましたね」。
しかし、水上さんは挑戦の姿勢を崩さなかった。
「周りはみんな自分より年上の人ばかり。だからこそ、まずは自分が動いて結果を出すことを重視していました。これで周りも認めてくれる側面はありましたが、社長というポジションは苦労の連続でしたね。成長させて頂きました。ただ、あくまで交渉して提供してもらったコンテンツをお届けするサービスがメインだったので、コンテンツに直接関わっているんだというリアル感がビジネスとして薄いと感じたこともありました」。
35歳で任期満了。普通の会社員であればゴールともいえるポジションを若くして掴んでしまったゆえ、「ここからどういう道を行くか、常に自問自答していたような気がする」という水上さん。その後、どのように舵をとることを決めたのか。
「自分の人生を振り返ると、やはりエンタメと経営か……。
13年間在籍した日本コロムビアでは、ときに重役として苦渋の決断を迫られる時期もあった。不況のあおりをうけ、部下たちからの仕事先の紹介を頼まれた時には、心を痛めて奔走したことも。しかし、なにより最高な仲間と充実した仕事をやり続けることができたのは大きな財産になった。その後、しばらくして自分の今後をじっくり考えて、とことんやり切った日本コロムビアを卒業し、より経営力を増強したいという気持ちが強くなっていたという。
そこからは斬新な企画力に惹かれた東京MXテレビの企画マーケティング部長を務めるなど、挑戦を絶やさず、40代に突入してもなお、水上さんは走り続けた。仕事にかける熱意の源は、いったいどこからやってくるのだろうか。
「気づいたら、仕事ばかりの人生になっちゃいましたね。当然悩んでいる時期も多いんですけど、常に仕事のことが頭にある。やるからにはとことんやりたい性分なので、もう仕方ないんですよね。
そんな水上さんは50代を目前にして、医療業界へと踏み出すことになる。その経緯は、後編で明らかにしていこう。
取材・文=藤野ゆり(清談社) 澤田聖司=撮影