長い年月をかけたイアン・カラムのジャガーに対するこだわりがあり、彼はXJとそのデザインの重要性について強い見解を持っている。
「私は13歳の時、ビル・ヘインズにいくつかのスケッチと、『どうやったら車のデザイナーになれますか?』と書いた手紙送ったんだ。当時、誰も車のデザイナーになる方法について知らなかったからね。信じられなかったけど、彼は本当に返事をくれた。
最初のXJ6シリーズは、多大な期待を受けて発表され、若かりし頃のカラムは強い興味を持った。彼の期待が裏切られることはなかった。
「僕はすっかり魅せられてしまった。当時でも、その車のプロポーションはとても刺激的だというのがわかった。ライオンズは、スポーツカーとセダン両方のマーケットに適した車を作ろうとした。MK10はかなり車高の低い車だったけど、とても大きな車だった。しかしXJ6は、スポーツ性とラグジュアリーの両方を非常にうまく兼ね合わせていて、ジャガーを象徴する典型的なものとなった」
「同じ頃のメルセデスと比べてみると、いかにそれが先鋭的であったかがわかる。低いボンネットを持つ車としては、全く新しいタイプの形だった。
カラムは、XJが新しい市場を生み出したと考える一人でもある。「とても良く売れた。特にアメリカで、それも女性に。他のラグジュアリーな車たちはだんだん大きくなっていっていたけど、これは運転するのにちょうどいいサイズだったんだ。本当にスポーティーでラグジュアリーな1台だったけれど、大きすぎず、多くの人に気に入られた。
XJ6の多くの要素がカラムを夢中にさせた。フロントグリルは、それまでの(MkVIIを除いた)額縁タイプではなく、ボディーにはめ込まれていた、大小のヘッドランプ、大きな”教会の窓”の様な後部ライト、”完璧なボディー”、Cピラーが小さくなり、ガラスの部分がより大きくなる様に”丸みを帯びたルーフ”がドアのシャットラインと重なっている。
コカコーラのボトルの様な曲線的な最後部。しかし彼が最も好きだったのは、当時としては大きな車輪の上にある”今まで誰も見たことのない”ボディーワークの優美さだった。他のライオンズの車と同様に、シートが窓の下のラインよりも上になることでガラス内の視界を妨げることは許されなかった。
S2では、視界の美しさはなくなったが、全体的に見るとかなりすっきりした感じを保っていた。
角張ったXJ40に続く、あちこちのデイリー・テレグラフの読者を残念がらせた1980年代中頃に取り入れられた変更について、ジャガーは全く気づいていなかったのだ。