ミウラは、ジャンパオロ・ダラーラやパオロ・スタンツァーニ、当時22歳であったマルチェロ・ガンディーニなど、野心を持った若者たちの夢がかたちとなったものであった。4リッター V12ミドエンジンを搭載したミウラは、1966年のジュネーヴ・モーターショーで発表され、当時の量産車としては最速の1台として世界に衝撃を与えたのであった。
1966年から1973年までに製造された763台のミウラは、ランボルギーニの拠点であるサンタ―ガタ・ボロニェーゼで組み上げられ、今もなお価値あるクラシックカーとして受け継がれてきている。
そして、2019年 ぺブルビーチ・コンクールデレガンスで選ばれた、特にアイコニックな5台のミウラは以下となっている。
1967年 ミウラP400 #3087
25番目に製造されたミウラは、1967年から1972年までスイス人レーシングドライバーによって所有され、その後は40年に渡りアメリカ人オーナーのもとにあった。
1968年 ミウラP400 #3303
101番目に製造され、イラン最後の皇帝であるモハンメド・レザー・パフラヴィ―が最初のオーナーとなった1台。ステアリングホイールなども含め、特別な装飾が加えられている。1979年に一度は売りに出したが、その後は皇帝の息子が所有し2018年にレストアを施した。現在のオーナーは2019年はじめに購入している。
1968年 ミウラP400 #3586
このミウラは、1969年公開の映画『イタリアンジョブ(ミニミニ大作戦)』で登場した1台。
1972年 ミウラP400 SV #3673
150台製造されたSVのうちの1台であるこのミウラは、FIA会長 ジャン・トッドが所有しているもの。新車として輸入し、コストをかけることを最初のオーナーが避けたために、1968年に全壊したミウラのシャシーナンバーを付けている。1972年、最後のミウラ製造ラインの中で組み上げられ30年近く南アフリカで保管されていた。2001年にアメリカへ渡り、2016年にジャン・トッドが購入。
1968/1975年 ミウラ SVR #3781
この1台は1968年のトリノ・モーターショーに展示された1台。1974年に中古車として売りに出され、購入したオーナーが"レーシングミウラ"として特別な1台を作るようにファクトリーへ依頼した。18ヵ月の時間をかけ1975年に完成し、日本で2016年まで過ごし現在のオーナーのもとへ。ポロ・ストリコで、1975年への状態へとレストア済み。
2015年に設立されて以来、ランボルギーニの価値あるヘリテージを後世へと残すことを目的として活動している、ポロ・ストリコの真髄を世界に披露する場ともなるであろう。