1974年3月2日の朝、ひな祭り会が開かれていた那覇市小禄の聖マタイ幼稚園で地鳴りのような爆発音が響いた。園の外堀沿いの工事で不発弾が爆発し、3歳の女児と作業員ら計4人が死亡、34人が負傷した。

 不発弾は、旧日本軍が使用した対戦艦用の機雷だった。その威力はすさまじく、爆風は半径200メートル以上に広がり、土砂で人が生き埋めになり、家屋80棟、車41台が被害に遭った。
 国の戦後処理責任が問われたあの事故からきょうで50年になる。
 豊見城市に移転した同園では1日、「平和を祈る日」として追悼式があり、園児や当時の園関係者らが不発弾事故の犠牲者の冥福を祈った。
 元園長で司祭の高良孝太郎さん(75)は「戦争がなければ悲しい事故は起きなかった。みんなで平和ってどういうことかを考えてほしい」と語りかけた。

 「不発弾の処理がいつまでかかるのか分からない。啓発も兼ねて毎年、平和を訴えていきたい」とも語った。
 高校生の時に事故を目撃して救助に当たった男性(68)は「地獄絵図のような状況が浮かび、毎晩夢にうなされた。妻にも言えなかった」と声を詰まらせた。
 沖縄戦は終わっていない。この惨事は県民に大きな衝撃を与え、事故をきっかけに国や県が対策に乗り出す。

 時間とともに記憶の風化が懸念される中、重い口を開く証言に真摯(しんし)に耳を傾けたい。
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 「鉄の暴風」と呼ばれる激しい地上戦が行われた沖縄では、約20万トンの爆弾類が使用され、県の推計では1878トンの不発弾が今なお埋没している。全ての処理に100年近くかかるといわれる。
 県内の不発弾事故では1946年から71年までに約700人が死亡。復帰後は同園の事故を含め計7人が死亡、59人が負傷している。
 2009年には、糸満市で水道工事作業中に不発弾が爆発し男性2人が重軽傷を負った。
昨年5月には、那覇市立病院の建て替え工事現場で見つかった不発弾の処理で、半径75メートル以内の計620人が避難対象となった。
 命を脅かすだけでなく、処理作業のたびに避難や交通規制など暮らしに大きな支障をもたらしている。
 戦争に起因するこの問題の責任は国にある。いまだに戦後処理が終わらないのは、国の怠慢と言わざるを得ない。
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 ロシアによるウクライナ侵攻から2年。ウクライナ当局によると、国土の3割に地雷や不発弾が埋まっている。

 戦争が終わっても残り続ける不発弾は、いつどこで牙をむくか分からない。地雷禁止国際キャンペーン(ICBL)によると、不発弾の死傷者の85%は民間人で、多くの子どもが犠牲になっている。
 毎晩夢にうなされると語った男性は今、妻にも言えなかった爆発事故当時の状況を子や孫に伝えている。「新たな戦前」ともいわれる今の沖縄の状況を危惧してのことだ。
 戦争のない次世代をつくるため、不発弾事故の記憶をしっかりと引き継ぎたい。