米軍の標的とされたのは江東区や墨田区など下町の木造密集地。
東京大空襲は民間人を大量殺傷し、戦意喪失を図ろうとする国際法違反の無差別攻撃だった。
市街地は瞬く間に大火災となった。
炎は木造住宅だけでなく鉄筋校舎や地下室、公園などの避難所も襲い区域の約50%が焼失した。逃げ場を失った約10万人が犠牲となり、焼失家屋は約27万戸に上った。
これほどまでに被害が広がったのはなぜか。
背景の一つには空襲警報が遅れ、警報より先に空襲が始まったことがある。深夜の攻撃で多くの住民にとって奇襲となった。
空襲時の消火義務を住民が負っていたことも事態をさらに悪化させた。バケツリレーなど手作業の消火はほとんど意味をなさず、逆に犠牲者を増やすことになったのである。
あれから80年。いまだに犠牲者の遺骨のほとんどは身元不明のままだ。
遺骨を納める東京都慰霊堂は、元は関東大震災の犠牲者のために建てられたもの。そこに空襲犠牲者の遺骨も一緒に安置されているのである。
超高層ビル群が立ち並ぶ都内で空襲の痕跡を知ることは難しい。
戦争の教訓を風化させることがあってはならない。国や都には空襲被害の実態を調査し、戦争の悲惨さや愚かさを後世に伝える努力を求めたい。
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民間人の空襲被害の補償も実現していない。
全国空襲被害者連絡協議会(空襲連)の吉田由美子共同代表は「戦後処理は何も終わっていない」と訴える。
国が空襲被害の補償を否定してきた根拠が最高裁判決で示された「受忍論」だ。「戦争は国の存亡に関わる事態であり、国民は受忍(我慢)しなければならない」という。
しかし、国は旧軍人、軍属やその遺族に対しては恩給などの補償に現在までに約60兆円を投じてきた。一方、民間人には原爆被害や沖縄戦被害者の一部への援護法の適用などに限っている。
その結果、同じ空襲被害でも旧軍人は特別給付があるのに民間人はゼロという「官民格差」が生じている。
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2009年の東京大空襲訴訟の東京地裁判決は「立法を通じて解決すべきだ」とした。
その後、超党派の議連が救済法案要綱を作成。国による慰霊や調査とともに、空襲などで心身に障害の残る被害者に一時金50万円を支給する案となっている。
東京大空襲では朝鮮半島から連れてこられた労働者も犠牲になった。南洋戦や沖縄戦の民間被害者の多くも救済されていない。
戦後80年の今年こそ、国会は救済法の成立を急ぐべきだ。