[憲法への視線 適用50年の沖縄から](1)琉球政府裁判官 比嘉正幸さん(88)
 「武装したアメリカー(米軍)たちがいきなり来て男たちを捕まえた。縛ってから、カシガー(麻袋)に入れて。豚と一緒。人間扱いされなかった」
 1955年6月18日、伊江島。悔しさに震え、涙ながらに窮境を訴える島民の言葉一つ一つに、当時21歳の比嘉正幸さん(88)=那覇市=はがくぜんとした。3月に土地を強制接収した米軍の島民への不当な仕打ち。押しつぶされ、火を付けられた家屋の焼け跡も見た。
 当時は琉球大学の学生会副会長。7月には早朝から始まった旧宜野湾村伊佐浜の強制接収に対峙(たいじ)したが、「銃剣とブルドーザー」を前になすすべもなかった。
 「今では考えられない、人間の尊厳を冒すものだった」。琉大に入学した52年に沖縄は日本から切り離された。「島ぐるみ闘争」に身を投じ、米側の圧力に屈した大学に除籍処分された仲間もいた。沖縄が置かれた不条理を肌身で受け、憲法への憧れを強くし、司法の道を歩もうと決めた。
 64年に琉球政府の裁判官に任官。66年6月に直面したのが、「友利・サンマ裁判移送問題」だった。琉球上訴裁判所(当時)で係属中の2件の裁判権を取り消され、高等弁務官命令で米国民政府裁判所に移された。
 いずれも布令が、その上にある「大統領行政命令」に反するとした一審判決が発端だった。琉球政府の裁判所が布令の効力を審査し無効とすれば「米国の安全・財産・利益に影響を及ぼす」と米軍側は恐れていた。

この記事の画像

「「豚と同じ扱い」 沖縄の人権 守る使命感 不条理を実感 司法志す[憲法への視線 適用50年の沖縄から]」の画像1 「「豚と同じ扱い」 沖縄の人権 守る使命感 不条理を実感 司法志す[憲法への視線 適用50年の沖縄から]」の画像2