73年にデビューしたルーファスも、初期はディスコで消費されるようなダンス音楽をやっていた白人ファンクグループだった。ここに唯一黒人のリードシンガーとして在籍していたのがチャカ・カーンだ。はっきり言ってデビュー当時のルーファスはB級バンドで、チャカがいるから認知されていたと言ってもいいだろう。しかし、徐々にルーファスはバンドとしてまとまり、成長していく。グループ名を“ルーファス・フィーチャリング・チャカ・カーン”(‘75)と変えた4枚目あたりからグループは格段に良くなったが、チャカのヴォーカルの存在感は圧倒的となり、ルーファスの影は薄くなるばかりで、彼女がソロアーティストになるのは時間の問題だった。ただ、チャカ自身はルーファスを気に入っていたようで、ソロになってからもルーファスとの活動を行なえるような契約を結び、グループが解散するまで、何らかのかたちで絡み続けていたことからもそれが窺い知れる。
■ソロ契約
すでに、その類い稀なるヴォーカルテクニックで全米にその名を知られるようになっていたチャカのソロデビューは秒読みに入っていた。大手レコード会社の多くが彼女を獲得するために躍起になって動いていたのだが、結局フュージョン流行の仕掛け人で、ジョージ・ベンソン、スタッフ、アル・ジャロウらのアルバムを大ヒットさせたワーナーブラザーズの副社長ボブ・クラスノウに説得され、ワーナーブラザーズからデビューすることが決まった。