その魅力はひと掴みにしづらい
ひと通り、安藤裕子の『Merry Andrew』を聴き終えて、これは何とも不思議な味わいを持ったアルバムだと思った。味わいとは魅力と言い換えてもいいと思う。しかしながら、“その魅力とは何だ?”と問われたとすると、“ん?”と考え込んでしまうような、それをうまく明文化できないようなところがあるような気もする。
…と書くと、『Merry Andrew』は何やらぼんやりとした作風と思われるだろうし、ある意味でそれはそうなのかもしれないが、楽曲によってはシャープな切れ味を見せるサウンドも言葉もあったりするから、“ぼんやり”はもちろん、“やわらか”や“たおやか”という形容も当たらない気がする。まぁ、だからと言って、ここで無理矢理、明文化する必要もないし、むしろ強引に言語化するのはダサい気もするのだが──それができる/できないはともかくとして──『Merry Andrew』の魅力を確かめる意味でも、もう一度、本作を聴きつつ、以下、楽曲の雑感を記してみようと思う。
オープニングはM1「ニラカイナリィリヒ」。
M2「Green Bird Finger.」は幻想的なM1から一転…と言いたいところだが、そんなに簡単な感じでもない。確かにテンポはアップになって、名うてのミュージシャンによって繰り広げられるバンドサウンドがグイグイと迫るので、M1と印象は変わるものの、コードがどこか不安定というか不安感があるというか…なのである。
多彩なサウンド、メロディを起用に歌う
M3「のうぜんかつら」は、この曲のCMタイアップによって安藤裕子の名前が巷に広がった、彼女の出世作と言っていいナンバー(正確に言えば、CMで使われたのはM14「のうぜんかつら(リプライズ)」ではあるが…)。シングルカットもされなかったので、「のうぜんかつら」聴きたさに本作を購入したリスナーも多かったことが想像できる。このM3「のうぜんかつら」はCMで使用されたもの(=M14「のうぜんかつら(リプライズ)」)とはサウンドが異なる。
M4「煙はいつもの席で吐く」は抑制の効いたバンドサウンドと緊張感あるストリングスがバックを支えるナンバー。
M6「あなたと私にできる事」は2ndシングルになっただけあってサビメロはしっかりキャッチーで、ヒットポテンシャルが高そうなナンバーではある(今頃そう言うのもどうか思うが…)。オルガンが若干サイケだったり、やはりここでも少しばかり不安感といったものを感じなくもないけれど、アウトロ近くでは押しの強いハイトーンヴォーカルを聴くこともできるので、《いつかあなたと確かめたい、二人の愛が「形あるもの」であると。》などの歌詞の通り、ストレートにポジティブな楽曲と受け取っていいだろう。友人の結婚がモチーフになっていたそうで、他の歌詞との明らかなトーンの違いもそのせいかと思うと妙に納得するところではある。
一方、4thシングルとなったM7「さみしがり屋の言葉達」は、M6とはタイプの異なるメロディーラインを持つ楽曲。歌詞も《雨はシトシト 風の街静かに揺らす/寂しがり屋の世界が孤独を呼んだ》と、こちらは決して前向きとは言えない内容だが、注目はサウンド。抑制を効かせつつもグルービーに仕上がったシティポップ的なバンドサウンドは、“70年代のユーミンへのオマージュか?”と思ってしまうほどに上質な仕上がりである。
音と言葉と独特の組み合わせ
そこから、ピアノが跳ねるシャッフルのポップチューン、M8「ポンキ」へとつながっていくので、アルバム中盤ではこの人のキャパシティーがさらに際立つ格好になっている。「ポンキ」の注目は歌詞。簡単に解釈できるような代物ではないけれど、それが無条件にポップな内容ではないことはよく分かる。《一人でも飛べないのに 逝けるかな?/君がもう居ないのに》《晴れた空 この目を閉ざして/青空よ 闇を認めて》である。M3「のうぜんかつら」以上に、メロディー、サウンドと歌詞のマッチングが独創的だと言わざるを得ない。この辺り=アルバム中盤になると、安藤裕子というアーティストのバラエティーに富んだところが十分に認識できるようになって来るが、それと同時に、彼女が掲げる世界観がとても独特であることにも気づく。それを簡単にミスマッチとかアンバランスと呼んではいけないのだろうけど、ここまで漠然と感じてきた楽曲内にある不安感や不安定さもたぶんその辺に関係しているのではないかと思う。おそらく『Merry Andrew』の本質はそこだろう。
M8「ポンキ」以降はその仮説を確かめるような聴き方になるが、それは次のM9「愛の日」でいきなり確信に変わる。ここで彼女は冒頭からこう歌う。
《色々なことを不安に思う日々。愛もその一つで今の大きな心を占めていた。/愛を思い、幸せを想う度に少し怖くもなる。/退屈な心は それでもあなたを求めていたんだ。》。
包み隠さない…という言い方でいいだろうか。愛は決して無条件に与え受け入れるものではなく、そこには不安もあることを綴っている。それはおそらく漠としたものであって、気付かない人も多いほどのさりげない感情なのかもしれない。安藤裕子はそれを取り上げ、力強いバンドサウンドに乗せて歌っている。“愛こそすべて”を高らかに歌うのではなく、そこでの揺れるさまを含めて歌い上げるというのはポップミュージックにおいては主流なことではないであろう。だが、そこがいい。何よりもアーティスティックであるし、その視線にロックを感じさせる。ある意味、不安感を描いていくことを徹底している点においては骨太だとも言える。
ここまで来たら、あとはザっといこう。3rdシングルとなったM10「Lost child,」では、子供時代の終焉、その端境期の只中とも言える心情を綴っていると思われる。続くM11「夜と星の足跡 三つの提示」とM12「星とワルツ」で奇しくも“星”の付いたナンバーが並ぶが、タイプはまるで異なるものの、届きそうで届かない相手への“想い”を描いたところは共通している。M13「彼05」は同期も入ったガールポップなロックチューン。ここでは、これまでとは真逆とも言える《曖昧な愛はいらない/名前を呼んで会いたいな》と歌っているのが面白いが、彼女にとってアグレッシブな態度を見せるのは、全14曲(13曲?)中1曲くらいの分量=10パーセント以下といったところなのだろうか。
ラストはM14「のうぜんかつら(リプライズ)」。このピアノ弾き語りのバージョンはデモの段階のものであって、それがCMディレクターが気に入り採用されたというから、このテイクは本来アルバムの主旨からは外れたものであったのかもしれない。しかしながら、作品のフィナーレとしてアンコール的に置くにはちょうどいい印象だ。
初見では“その魅力をうまく明文化できない”と思った本作だが、一曲ずつ丁寧に聴いていくと、やはり全体像も見えてくるものだ。と、ここでアルバムタイトルを見る。“Merry Andrew”の“Andrew”は聞き慣れない言葉だが、これまたファンならばよくご存知の通り、彼女の別名で、CDのアートワークやツアーグッズのデザインを手がける時に“Üchary Andrew”と名乗っているのだという。直訳すれば“愉快なアンドリュー”となろうか。つまり、彼女自身のこと、制作時の心境、心情をまとめたアルバムだと見ることができる。そう考えれば、その作品性を明確に言語化できないのも合点がいく。人の感情、キャラクターは本来それほどに複雑なものなのである。
TEXT:帆苅智之
アルバム『Merry Andrew』
2006年発表作品
<収録曲>
1.ニラカイナリィリヒ
2.Green Bird Finger.
3.のうぜんかつら
4.煙はいつもの席で吐く
5.み空
6.あなたと私にできる事
7.さみしがり屋の言葉達
8.ポンキ
9.愛の日
10.Lost child,
11.夜と星の足跡 三つの提示
12.星とワルツ
13.彼05
14.のうぜんかつら(リプライズ)