渡辺真知子が6月16日にライヴアルバム『唇よ、熱く君を語れ2020渡辺真知子コンサート~明日へ~』をリリースする。昨年11月に東京国際フォーラムホールCで行なわれたコンサートの模様を収録したもので、タイトルからも分かるように、彼女の代表曲もしっかりと収録されているので、ファン必携の音源と言えるし、ファンならずとも彼女のデビュー時を知る人にとっては、40数年を誇る彼女のキャリアを確かめることができる秀作と言えるだろう。
今週はそんな渡辺真知子のデビュー作である『海につれていって』を取り上げる。

“ニューミュージック”とは何か?

渡辺真知子のデビューアルバム『海につれていって』を聴いて、それまで自分の中でかなり曖昧なままになっていた“ニューミュージック”というカテゴリが少しばかりクリアーになった気がしたので、今回はその辺にフォーカスを当てて書いてみたい。そうは言っても、若い読者のみなさんには、そもそも“ニューミュージック”という言葉自体がよく分からないと思うので、まずそこから説明せねばなるまい。

“ニューミュージック”とは、[『広辞苑』では(中略)「わが国で、1970年代から盛んになった、シンガーソングライターによる新しいポピュラー音楽の総称。欧米のフォーク-ソングやロック、ポップスの影響下に成立」と書かれて]いるという(手元に『広辞苑』がないため、伝聞ですみません)。Wikipediaでは[1970年代から1980年代にかけて流行した、日本のポピュラー音楽のジャンルの一つ。
作曲面ではフォークソングにロックなどの要素を加え、作詞面ではそれまでのフォークソングの特徴であった政治性や生活感を排した、新しい音楽であった。ただし文献により、定義などにずれがある]とある。

この[定義などにずれがある]というのがなかなかの曲者でありながら、ある意味で“ニューミュージック”の本質を言い表しているとも言える。[新しいポピュラー音楽の総称]とか[日本のポピュラー音楽のジャンルの一つ]とか言われてはいるものの、はっきり言って、これは音楽ジャンルではない。個人的にはムーブメントに近いものだと思う。本稿ではそこに属するアーティスト名をつぶさには上げることはしないので、興味がある人は是非ご自身で調べてほしいのだが、音楽ジャンルとしてひとつに括るには相当無理のある人たちの名前がそこにラインナップされている。


今回、当コラムで紹介するのは渡辺真知子なので、彼女に関連する記事だけを拾ってみると、以下のようなものがあった。[1978年の国民的番組『NHK紅白歌合戦』では「ニューミュージック・コーナー」というあたかも隔離された一つのコーナーがあり、庄野真代・ツイスト・サーカス・さとう宗幸・渡辺真知子・原田真二の6組が続けて歌唱した後、ステージの上で一列に整列し、審査員の講評を受けるという前例のない非常に混沌としたステージをやった]。[非常に混沌としたステージ]とは記事を投稿した方の皮肉であろう。上記アーティストを一括りにすること自体、相当に無理がある──というか、ほぼ無茶である。しかし、当時はそれがまかり通ったというのは、“ニューミュージック”という言葉に、人を惹きつける魅力、磁力、魔力の類いが大挙して潜んでいたと言う他あるまい。そこに、それまでの邦楽史や直前までの世界的な音楽の流行がどう絡んでいたのか…辺りを指摘し出すと、どんどん渡辺真知子から離れていくので、その辺には踏み込まないけれども(興味がある人はぜひググってみてください)、『海につれていって』からはそれが薄っすら滲み出ている気がするし、当時、音楽業界の最前線にいたアーティスト、ミュージシャン、クリエイターがどんな“ニュー”を標榜していたのかを感じ取ることができるように思った次第である。


以下、いつも通り、私見も交えつつ…となるが、アルバム収録曲の特徴からその辺りを探っていこうと思う。
(※上記の[]は全てWikipediaからの引用)。

古びた言葉も散見できるが…

まず歌詞から見てみよう。本作に収められている楽曲の歌詞の内容は悲恋が多い印象だ。M1「海につれていって」、M9「朝のメニュー」、M10「あなたの歌」辺りはうまくくことが進んでいる感じだから、7:3の割合で悲恋が上回っていると言える。M4「愛情パズル」は恋愛関係が成立していないようであり、完全にそうだとも言いきれない感じなので、それを差っ引いたとしても、悲恋に軍配が上がる(?)。
して、その内容は以下の感じ。

《港を愛せる 男に限り/悪い男は いないよなんて/わたしの心を つかんだままで/別れになるとは 思わなかった》《あなたが本気で 愛したものは/絵になる港の 景色だけ/潮の香りが 苦しいの/ああ あなたの香りよ》(M2「かもめが翔んだ日」)。

《あなたが好きだった/シャンソンでさえ/こんな時に 泣かせてくれない/かけたい電話も 今は許されない/あなたの側に あの娘がいるから》《私が愛したくらい/あなたが想ってくれたら》《煙草は吸わない 約束だったけど/薄荷の味がとても悲しい》(M3「片っぽ耳飾り」)。

《三笠港にキララ陽が沈む/もうみんな集まる頃/歌い仲間と気になる/あなたはダンディボーイ》《裏町通りに灯りがともりゃ/たちまち異国風》《きょうは悲しいダウンタウン/そんな私はまるでミルクマドンナ》(M4「愛情パズル」)。

《私 本気で死ぬ気はなかったわ/甘えてみたくて 生命をあずけたの/なのにあいつ それきりあいつ/だけどあいつ 結局あいつ/私にはやさしすぎ 自分にはきびしすぎた》(M7「なのにあいつ」)。

《白いブラウス 肌透かして/アスファルトの街 ひとり泪雨/戻る道のない 灰色街/あなた想い追いかけた/だけど もう歩けない/どうぞ さよならだけひと言/今は 泣かせて雨》(M8「今は泣かせて」)。


“恋愛関係が成立していない”と言いつつも、M4「愛情パズル」もセレクトしてしまったのは、それを含めてどれもこれも言葉が絶妙だと感じたからだ。《絵になる港の 景色》《潮の香り》《煙草は吸わない》《薄荷の味》《生命をあずけた》《泪雨》…etc.。誤解を恐れずに言うならば、作られたのが1970年代後半であることを考慮したとしても、なかなかにいなたい感じであることは否めない。フォーク…いや、これまた誤解を恐れずに言わせてもらうと、これだけを見たら、演歌と思われてもおかしくはないワードチョイスではなかろうか。まぁ、M2、M7は彼女自身の作詞ではなく、昭和において数々のヒット歌謡曲を手掛けた伊藤アキラが作詞したものなので、それもむべなるかなといったところだったかもしれないが、彼女自身もプロの作詞家からの歌詞提供を望んでおり、[伊藤アキラから詞を渡されたときは心が躍ったという]から、そこで変な“違和感”を抱くことはなかったと思われる([]はWikipediaからの引用)。メロディーもテンポも演歌調ではなく、それこそフォーキーであったり、ポップス調であったりするので、仮にアカペラで歌ったとしても、さすがに演歌には聴こえないだろうけれども、その歌詞からは(それがいいとか悪いとかではなく)ことさらに“ニュー”を標榜していたとは思えない印象ではある。


名うての編曲家、音楽家が集結

しかしながら、そうは言ってもアルバム『海につれていって』の聴き応えは、決して演歌ではないし、フォーキーなメロディーもあるものの、いわゆるフォークソングらしいかと言ったら必ずしもそういうわけでもない。やはり“ニューミュージック”という括りが便利なように思う音像だ。そう、サウンドが従来のフォークソングや、おそらくは当時の歌謡曲とも異なっている点が、アルバム『海につれていって』、引いてはデビュー時の渡辺真知子を“ニューミュージック”たらしめていたものだったのではなかろうか。本作をじっくり聴けば聴くほどそのように思えてならない。

編曲を担当しているのは船山基紀。この前年に沢田研二の「勝手にしやがれ」のアレンジを担当して第19回日本レコード大賞を受賞している他、C-C-Bの「Romanticが止まらない」や少年隊の「仮面舞踏会」など筒美京平とのコラボレーションで昭和を代表する数多くのヒット曲を世に送り出してきた名編曲家である。バックを務めるミュージシャンもすごい。水谷公生(Gu)、武部孝明(Ba)、斎藤ノブ(Perc)、森谷 順(Dr)、そして羽田健太郎(Key)がバンマスという面子。各人を説明していると、それだけでかなりの文字数となってしまうので、それは割愛させてもらうけれど、日本の音楽シーンを創り上げてきた音楽家たちである。少しばかり年季の入った音楽ファンであれば、どんな楽曲でもこのメンバーの手にかかれば素晴らしい演奏になることを疑わないであろう。アルバム『海につれていって』の収録曲でも、どれもこれもさすがと言えるサウンドを聴かせてくれる。

M2「かもめが翔んだ日」の頭でのカモメの鳴き声風な(おそらく)ギターの音とか、M4「愛情パズル」のBメロでのモータウンビートとか、あるいはM7「なのにあいつ」のイントロで聴かせるスパニッシュなギターであるとか、歌メロに並走する独特のエレピであるとか、各パートを細かく聴いていくとキリがないほどである。2013年に再発された際にリマスタリングしてあるのか、もともとの録音、ミックス状態が良かったのか分からないけれど、全体に本作は音像がクリアーな印象ではあって、ストリングスが多めな点が個人的には微妙に思ったところではあったが、アンサンブルの妙が楽しめる楽曲群である。とりわけ船山基紀の確かな手腕を堪能できるのはM3「片っぽ耳飾り」とM5「私の展覧会」だと思う。M3は《あなたが好きだった/シャンソンでさえ/こんな時に 泣かせてくれない》との歌詞があるからだろう。シャンソンというか、フレンチポップス的なサウンドに仕上げてある。M5は初めて聴いた時、そのロック的なエレキギターのアプローチや幻想的なコーラス、さらにはドラムの手数の多さ、鍵盤の雰囲気は音色に、“何でこんなプログレみたいなバンドサウンドなんだろう?”と少し不思議に思ったのだが、これは多分、Emerson, Lake And Palmer『Pictures At An Exhibition』から連想したアレンジではなかろうか。メロディーはそんなにロックな感じでもないし、ましてやクラシカルでもないのだけど、そうした洒落っ気があったのではないかと推測する。

斯様に、歌詞やメロディはベーシックというか、そこにそれほど革新性を求めてはいなかったものをサウンドアレンジによって、そこまで他ではお目にかかれない楽曲に仕上げる。言葉の定義がどうあれ、また、渡辺真知子本人がどこまで“ニューミュージック”というワードを意識していたかは分からないけれど、アレンジャーの船山基紀やバンドメンバーを含めて、彼女たちが字義通りの“ニューミュージック=新しい音楽”のクリエイトを目指していたことは確実だろう。船山基紀のアレンジャー起用は他ならぬ渡辺真知子本人が熱望したことだという。単なるシンガーソングライターではなく、アーティストとして先見の明を持った人であったようだ。それを感じさせる『海につれていって』である。

TEXT:帆苅智之

アルバム『海につれていって』

1978年発表作品

<収録曲>
1.海のテーマ~海につれていって
2.かもめが翔んだ日
3.片っぽ耳飾り
4.愛情パズル
5.私の展覧会
6.迷い道
7.なのにあいつ
8.今は泣かせて
9.朝のメニュー
10.あなたの歌