特に、ここ近年の活動の充実ぶりには驚くべきものがある。デビュー20周年を迎えた2013年にはアルバム『斉藤』『和義』を2枚同発でリリースし、オリコン2位・3位を記録。2014年4月までかけて行なわれたアルバムのツアーでは全国55都市62公演を回り約14万人を動員。9月にはドラマー・中村達也とのユニット、MANNISH BOYSでもアルバムを発売しツアーを敢行。さらに12月には新曲「Endless」「ワンダーランド」を配信リリースし、4年振りのライヴハウスツアー『RUMBLE HORSES』も行なってきた。
3月18日には、そのツアーの模様を収めたライヴ映像作品&音源が『KAZUYOSHI SAITO LIVE TOUR 2014 “RUMBLE HORSES” Live at ZEPP TOKYO 2014.12.12』として、Blu-ray/DVD/CDの3形態でリリースされる。
というわけで、今回の記事ではそんな彼のルーツとつながりを解説していこう。
93年にシングル「僕の見たビートルズはTVの中」でデビューを果たした斉藤和義。その曲名が象徴的なように、彼が自らのルーツに掲げることが多いのはビートルズだ。「ずっと好きだった」ではビートルズの伝説のルーフトップ・コンサートを模したPVを作ったり、同じく「やさしくなりたい」では66年の武道館公演をモチーフにしたりと、たびたびビートルズへのオマージュを表している。
実際、2007年にニッポン放送『ヒダカトオルのオールナイトニッポン』に出演した際には、自分のルーツとなる曲としてビートルズの「I Am the Walrus」を挙げている。その時に並べて挙げたのが沢田研二の「カサブランカダンディ」とLOUDNESS の「LONELY PLAYER」。沢田研二は子供時代のスターだったようで、カバー曲中心のコンセプトアルバム『紅盤』でも「ダーリング」をカバーしている。また、LOUDNESSは中学や高校時代にバンドでコピーしていたこともあるそうで、2013年に小児癌のチャリティーライヴにて共演した際には青春時代の憧れだったことも告げている。
トレードマークとも言えるギターは小学生の時に出会ったもの。
テレビのオーディション番組への出演をきっかけに27歳でデビューした斉藤。「歩いて帰ろう」や「歌うたいのバラッド」など数々の名曲を発表し、着実な支持を集めていった。
そんな彼だけに、ミュージシャン同士の交流も幅広い。特に親交が深く、たびたびのコラボを繰り広げているのは奥田民生。奥田民生とは今回のライヴ映像作品&音源でもそのセッションの模様を収録。奥田が昨年にリリースしたシングル「風は西から」のカップリングにもふたりがライヴでセッションした「And I Love Car」と「歌うたいのバラッド」が収録されている。
そして、敬愛する忌野清志郎を中心にしたつながりも多い。忌野清志郎とは生前にも共演していたが、その後も『忌野清志郎 ロックンロールショー』や『感謝の日』などゆかりあるミュージシャンが集うライヴイベントにたびたび出演。仲井戸麗市とも数多くの共演を果たしている。また、甲本ヒロト・真島昌利のクロマニヨンズともたびたび対バンし、ドラマー・中村達也とのユニットMANNISH BOYSも含めて、ロックンローラーとしての硬派な一面も見せている。
こうして、彼の周りには“歌うたい”と“ロックンローラー”というふたつの音楽の輪が広がっている。