冒頭、元々牛宮城はヒカルと合同で作ったITADAKIという会社で運営していることを紹介。その後、ガネーシャがプロデュース・営業・サポートを行っていく流れになったが、宮迫は「去年、相談を受けまして。ガネーシャもいろんな挑戦しているじゃないですか?牛宮城のサポートの手が回らなくなったのも事実として、ありまして…」と打ち明け、ガネーシャがIYO UDONへ株の譲渡を行ったことを伝えた。
自身の今後の携わり方について「今までと同じように、牛宮城は携わっていきますので。味のチェックとか、新商品の開発とか、お店に来てくれた人たちへのあいさつ回りなどは、今まで通りやりますので、その辺はご心配なく」と呼びかけた。
その上で「オーナーという形ではなくなりました。一応、株もありますから、宣伝担当ですし、大いに来ていただいて、みなさんとお会いしたいので」と話していた。