山田洋次監督作品に出演経験が多いことから、お別れ会では山田監督からの手紙が代読された。
「才能が豊かな声優、俳優だけではなく仲間として、ともに語り合いジョークで笑わせてくれる友人がいないことは、どれだけ寂しいことか。息を引き取る短い時間、君は何を思ったのだろうか。いや、そんなこともできず突然君は、この世に幕を下ろしてしまったのだろうか。せめて、君が寝る姿に手をあわせたかった。そこでお礼とお別れを言いたかった。松野くん、もう君と会えないことをとても寂しく思っています。いろいろとありがとう。本当にありがとう。そして、さようなら。
松野さんの代表作『金田一少年の事件簿』プロデューサーの諏訪道彦氏は「金田一のオーディションは難航していました。予定していた人のオーディションが終わっても『誰にしようか?』と。その時、この情報を聞いた松野くんが『オーディションを受けさせてください』と。そして、あなたの声を聞いた関係者が『これだ!』と…」と思い出話が展開された。
親交が深い三ツ矢は「太紀とのエピソードは、半分以上人に伝えられないことだらけ(笑)初めての出会いはあなたが中学生のころでした」とし、「弟のような感じで家族のような存在でした。そんなあなたがいないのは、寂しいよ、悲しいよ、つまらないよ。一緒にお芝居を作りましたよね、いっぱいお酒を飲みましたよね」と声を振るわせた。
一番思い出に残っているのはクリスマスの出来事で「六本木のレズバーに行きましたよね。なぜ、レズバーだったのか。クリスマスのたびに笑いながら思い出しましたよね。そんな話がもう、クリスマスにできないのは、がっかりしちゃうよ。
そして、戸田恵子、後藤久美子、今井翼からの弔電も。今井からは「出会いは山田監督作品でしたね。一緒に芝居ができたことが尊いです。優しくて自分に厳しいあなたに出会えないことは寂しいです」と読み上げられた。
松野さんは10月16日生まれ、東京都出身。アニメ『金田一少年の事件簿』金田一一、『遊戯王デュエルモンスターズGX』万丈目準、『犬夜叉』鋼牙、『スポンジ・ボブ』スポンジ・ボブの声などで知られ、今年6月に所属事務所青二プロダクションより「右大脳出血により永眠いたしました」と報告された。