第二次世界大戦末期の沖縄戦後、米軍に占領された伊江島で非暴力の土地闘争を行った平和運動家・写真家の阿波根昌鴻(あはごん・しょうこう)氏(1901~2002)。阿波根氏の歴史的・文化的に重要な記録を新たな形で保存し広く公開することを目的に、東京工芸大学芸術学部 (東京)が3000枚以上のネガから選んだ未公開を含む約350点のネガの高精細デジタル化を実施。

埼玉県東松山市の「原爆の図 丸木美術館」で2月23日(金)から5月6日(月)まで、企画展「阿波根昌鴻 写真と抵抗、そして島の人々」で公開する。

 資料のデジタル化は、東京工芸大学芸術学部写真学科の小原真史准教授(写真史・キュレーション)が実施。小原氏は、島の大部分が米軍に占領され強制的な土地接収を受けていた伊江島で、農民たちが、鉄砲の発射薬を詰める薬莢(やっきょう)・爆弾・看板などの証拠物品の収集を通じてどのように抵抗していたのかや、土地闘争の過程でどのような写真が撮られていたのかを調査した。3000カット以上あるネガはプリント化もほとんどされていない状態だったが、阿波根昌鴻資料調査会との調査により、土地闘争の写真だけでなく、島の人々の記念写真や日常のスナップ写真が大量に含まれていることが判明。これらのネガを高精細デジタル化するために、小原氏と阿波根昌鴻資料調査会のメンバーらが伊江島に泊まり込みで作業を行った。
 
 阿波根氏は沖縄戦後の米軍占領下、“銃剣とブルドーザー”と呼ばれた強制的な土地接収や射爆演習場による被害などを記録するためにカメラを入手し、1955年から島の記録を開始。

島で唯一のカメラを米軍に抵抗する手段としつつ、“乞食行進”と呼ばれた行脚や陳情を展開する中で沖縄における島ぐるみ闘争の一翼を担うようになり、“沖縄のガンジー”と呼ばれた。写真集に『人間の住んでいる島』(私家版、1982年)、著書に『米軍と農民』(岩波新書、1973年)『命こそ宝 沖縄反戦の心』(岩波新書、1992年)がある。