1日約4000個、年間150万個が売れるプリンの専門店がある。店の名前は「マーロウ」。
ビーカーに入ったプリンとして注目を集め、いまでは湘南エリアを中心に12店舗を展開、地元・横須賀から全国区へと広がった。創業者の白銀正幸さんはダイエー出身ながらも、大手にはマネできない戦略でヒット商品を生み出した。その戦略とは何か。フリーライターの弓橋紗耶さんが取材した――。
■横須賀発「ビーカーに入ったプリン」で全国区に
応接室に通されると、壁一面に数百ものガラス容器が並んでいた。絵柄を見ると、「ハローキティ」に「ドラえもん」、「ミッキーマウス」や「スターウォーズ」のほか、映画『千と千尋の神隠し』に出てくる「湯婆婆」まである。
これらの商品を作っているのは、横須賀発祥の手作り焼きプリンの専門店「マーロウ」だ。並んでいた容器はプリンを入れるビーカーで、側面には200mlまで測れる目盛りが付いている。
逗子・葉山・鎌倉など、湘南エリアを中心に12店舗を展開する同店のプリンは、神奈川県内ではよく知られたスイーツの一つだ。店名はうろ覚えだとしても、定番のビーカーに描かれている「タバコをくわえた紳士」のロゴを見れば、わかる人は多いと思う。
ロゴのルーツは米国の推理小説家、レイモンド・チャンドラーの著書に登場する、探偵フィリップ・マーロウ。創業者で取締役会長を務める白銀(しろがね)正幸さんは、そのタフでジェントルマンな姿に魅了され、店のシンボルに採用した。

「僕なんか何もできませんからね。現場のみんなに『ありがとう、ありがとう』って言ってまわるだけで……」
ダンディなロゴとは対照的に、柔和な笑みを浮かべて言う。いたって控えめだが、実のところ、このプリンは1日あたり約4000個、年間で約150万個が販売されている。
「何もできない」と明言する創業者は、一体どうやって人気商品を作り上げたのだろうか。
■ダイエーを去り、未経験でレストランをオープン
1949年、白銀さんは青果店を営む両親のもとに、末っ子の長男として生まれた。大学卒業後は、大手スーパーのダイエーに入社。商売人の血筋もあってか、「数年したら独立したい」と思いつつも、30歳くらいのときにはスーパーバイザー(複数店舗の監督者)を任されるまでになった。
ちょうどこの頃意識し始めたのが、地元・横須賀に帰ることだ。上の姉たちは嫁ぎ、ゆくゆくは自分が両親の面倒を見ることになる。しかし、全国転勤が当たり前だったダイエーでは、腰を落ち着けられないと考えていた。
すると、葉山の隣町にあたる秋谷に、両親所有の土地が余っていると言う。そこで、宿泊業を始めようかと思ったが、行政の許認可の兼ね合いで実現できず、代わりにレストランを開業することにした。

「小さな子どもを3人抱えて、未経験で飲食業を始めるなんて、今思うと無鉄砲ですよね(笑)。でも、ダイエー時代から思い切りと勢いでやってこれた部分があったものですから、当時はあんまり怖さがなかったんです」
■「大手じゃできないことをやりたい」
35歳でダイエーを退職すると、レストランの建築を進めるのと同時に、妻・ヒロ子さんと一緒に他店で2カ月間修行した。白銀さんは調理を、ヒロ子さんはホール業務を一から学んだ。次に、飲食業経験者を2人採用し、1984年6月に「レストランマーロウ 秋谷本店」をオープン。勢いのままに走り出したものの、「はじめは厳しかった」と苦笑する。
というのも、その頃は逗子・葉山エリアから秋谷まで足を伸ばす観光客が少なく、思うように集客ができなかったのだ。売上は月に300万~400万円ほどで、秋冬になるとぱったり人が来なくなり、その半分ほどしか稼げなかった。
加えて、4人で店舗を運営していたために、まともな睡眠時間が取れなかった。毎日23時過ぎに店を閉めると、翌日分の仕込みが始まる。ミートソースやベシャメルソースを一から手作りしていると、窓越しに朝日が昇るのが見えたそうだ。
「素人が飲食店を始めるなら、既製品を使った方が楽だったのでは?」と聞くと、「修行先のやり方を踏襲したというのもあるが、出来合いのものは使いたいと思わなかった」と返された。
「最初から『大手じゃできないことをやりたい』と思っていたので、選択肢にも上がりませんでした。
素人だからこそ、ちゃんとした原材料で作らないといけないなと思って……」
さらに、平均的な客数や売上の傾向を把握するため、オープンから半年間は無休で営業を続けた。
「あの頃は住まいが店の2階にあったものですから、あまり外に出て行った記憶がないんです。もう、本当に参っちゃうぐらい。子どもに食事を用意するのも大変で、店のラザニアやスパゲッティーを出していたら、『もうそれはいらないよ』って言われてね(笑)」
このままの状況が続けば、店は立ち行かなくなってしまう。この流れを変えたのが、オープン当初から提供していた、手作りプリンだった。
■家庭の定番スイーツ「プリン」で差別化
お店のデザートにプリンを提供しようと思ったのは、「素人でも作れるから」という消極的な理由だ。その頃、店を手伝ってくれていた親戚が、手作りプリンを差し入れに持ってきてくれたことがヒントになった。「パティシエのような技術はないのだから、素材にこだわり、おいしいものを作ろう」と材料を厳選し、無添加で作ることにした。
その次に考えたのが、プリンを作る容器だ。当時は家庭でプリンを作ろうと思うと、小さなアルミカップを使うのが主流だった。しかし、それでは差別化できないし、お客さんの印象にも残らない。そこで、修行先が耐熱ビーカーで作っていたことを思い出し、一般的な商品の1.5~2倍ほどの、大きなサイズで作ることにした。

当初の販売価格は400円。市販のプリンが100円台で買えた時代に、あえて高級プリンとして売り出した。注文が入るとビーカーからくりぬき、皿に盛り付けて提供する。はじめは「高い」「もう少し小さなサイズにできないのか?」という声が寄せられたが、そのうち「おいしいから家に持って帰りたい」とリクエストをもらうようになった。
ならばと、テイクアウト希望のお客さんには、ビーカーごとプリンを販売するようになった。容器代を含めて、価格は1つ600円。後日ビーカーを返却してくれた方には、200円(当時の価格)をキャッシュバックした。
「昔はビール瓶もコーラの瓶も、リユースが当たり前でしたからね。でも、リユース品をもう一度使えるようにするには、検品などにすごく手間暇がかかるんです。だから、今はみんなリサイクルに回しているでしょう? その方が、いろんな意味でコストが削減できますから。
でも、うちは未だにリユースに取り組んでいるんですよ。店頭に容器を持ってきて下さった方には、100円をキャッシュバックしています」
素人が生み出したプリンの快進撃は、ここから始まっていく。

■オンリーワンのビーカープリン誕生
オープンして2~3カ月経つと、プリンのテイクアウトが徐々に増えてきた。その頃は既製のビーカーで提供していたが、「どうせならオリジナルの容器を作ろう」とロゴが入ったものを用意することにした。
「最初にビーカーを作るとき、メーカーから『最低ロットは5000個から』って言われたんですよ。当時はテイクアウトが1日に1件あるかないかでしたから、何年で売り切れるのかな……と考えたら、発注するときにすごくドキドキしましたね」
そして、年末からはロゴ入りのビーカーで販売を開始。並行して、カスタードプリン以外にもかぼちゃやクリームチーズなど、種類を増やしていった。
このとき強く意識していたのは、「オンリーワンかつナンバーワンの商品開発」だ。小さな店が、大手と同じ方法で戦ったところで、勝てるわけがない。ダイエー流の「よい品をどんどん安く」ではなく、「個性的で大変よい品を適正価格で」提供することを心がけた。
無添加かつ厳選素材で作られた、ビーカー入りのビッグサイズプリン。このユニークな商品は評判を呼び、雑誌で取り上げられたり、口コミで紹介されたりと、だんだんとその存在が知られるようになっていった。
■超有名キャラクターがつないだ縁
ときは経ち、2000年にそごう横浜店に2号店をオープンすることになった。度々催事出店していたところ、「常設してもらえないか」と先方より打診を受けたためだ。
ここから2010年までの間に、3号店・4号店を湘南エリアに立て続けに出店しているが、すべて先方からの申し出だと言う。
2004年には、創業20周年記念に限定デザインのビーカープリンを販売。すると、「キャラクターのオリジナルデザインが作れないか?」とそごうの担当者から声がかかった。とある催事を予定しており、そこで限定商品を販売したいのだと言う。そのコラボレーション相手こそ、世界中で愛されるサンリオの看板キャラクター「ハローキティ」だった。
その後は、立て続けにコラボレーション依頼が舞い込むようになった。冒頭で紹介したもののほかに、「ムーミン」や「スヌーピー」、「ひつじのショーン」なども手掛けている。特に反響が大きかったのは、「湯婆婆」のビーカーだ。あまりの人気に初回生産分はすぐに完売。一部店舗にて数量限定で再販したところ、店前には朝5時半からお客さんが並んだ。
オリジナルビーカーへの需要は年々高まっており、今や「ハローキティ」や「ドラえもん」のデザインは、10日ほどで7000個が完売する。「5000個のビーカーを何年で売り切れるか」と心配していたのが嘘のようだ。
「うちは出店もコラボレーションもすべて、相手からご提案をいただいたものなんです。私たちからオファーしたことは、ほとんどありません。だから、いいのか悪いのか、創業から41年間失敗したことはないんです」
お客さんや取引先の要望に応える形で事業を広げ、少しずつ、でも着実に認知を広げてきた「マーロウ」。だが、このあと予想だにしなかった出来事で、状況が一変する。
■地元芸能人の口コミで注文殺到
2011年3月、東日本大震災の影響により、約2週間にわたって関東地方では計画停電が行われた。1日約3時間停電したため、店舗は通常とは異なる運営体制となり、レストランやカフェ・イートインの営業は取りやめることにした。さらに、震災後しばらくは客足が戻らず、業績は急激に下降した。
復活の兆しが見えないまま1~2カ月が経った頃、テレビを見ていたら横須賀出身の俳優・小泉孝太郎さんがプリンを紹介してくれていた。すると放送直後、オンラインショップには怒涛のような注文が押し寄せた。
「それはもうすごい勢いで。生産が全然追いつかず、一時は2~3週間待ちになったほどでした」
これをきっかけに、ますます出店依頼が増加。湘南エリアだけでなく、GINZA SIXをはじめとした都内にも店を出すことになり、レストラン・カフェ・テイクアウト専門店など、業態の異なる店舗づくりを進めた。
するとここで、第二の想定外が起こった。2020年から始まったコロナ禍の影響で、オンラインショップの売上が伸びたのだ。さらに、三密を避けようと湘南エリアに足を運ぶ人が増えたことで、店舗全体の業績が拡大したのである。
2024年時点で、プリンの製造数と売上高は、コロナ禍の約1.7倍を記録した。現在、自社工場では多いときに、一日に約1万個弱のプリンを手作りしているそうだ。
■非効率な手作り製法
おびただしい量をどうやって手作りしているのかが気になり、取材当日は製造箇所の一つである、「MARLOWE YOKOSUKA FACTORY(マーロウ ヨコスカファクトリー)」を見学させてもらった。
プリン工房に入ると、作業台を中心に10人ほどのスタッフが忙しく動き回っている。壁側にはオーブンが並んでいるが、やはり製造ラインなど大型の機械設備は見当たらない。
看板メニューのカスタードプリンは、植物性飼料で育てた卵と北海道産の新鮮な牛乳・バニラビーンズ・上白糖のみで作られている。オーブンでじっくり湯煎焼きにすると、昔ながらのやや硬めのプリンの完成だ。
最初の工程から見せてもらうと、まずはビーカーの検品・洗浄から始まった。次はプリンにアクセントを加える、カラメルソース作り。示された方向を見ると、グラニュー糖と水がフライパンで熱せられている。
一般的には、カラメルソースを固形化したタブレットを用いるところが多い。けれど、「手作りのいいところは、味自体がすごく美味しくなることです。ただ苦味を感じるだけじゃなくて、深みが生まれるんですね。このカラメルはお客様にも評判です」と白銀さんはニコニコと語った。
■「どの企業も追随してきません」
一般家庭と変わらない製法に目を見張っていると、後ろではバニラビーンズの種を房から取り出したり、一つひとつのビーカーに巨大なやかんで卵液を注いだりと、ひたすら手を動かすスタッフの姿があった。
壁を隔てた隣の工房では、「生菓子は作れないから」とこれまた控えめな理由で始まった、焼き菓子が製造されている。ケーキにいちじくやアーモンドスライスをトッピングするのも、ビスコッティを二度焼きしてラッピングするのも、すべて手作業だ。
「ここで作っているスイーツは、原材料をどんどん良いものに変えてはいますが、基本的な製法は変えていません。1日に20種類以上のプリンを作ったり、あえて高さのあるケーキを作ったりするので、正直なところ生産効率は悪いですね。
でも、だからこそどの企業も追随してきません。真似しようと思っても、すごくリスクが大きいんですよ。すべて手作りする製造面でも、形態の異なる店舗運営を行う、という面でもね」
現在はプリンの供給に対し、需要が大きく上回っている。けれど、手作りにこだわる以上、急に規模を拡大することは考えていない。「大手じゃできないことをやる」という指針は、今もぶれていないようだ。
■「何もできない」から任せられる
店頭に並ぶプリンは、常時15~20種類。店舗によって売り場面積が変わるため、商品点数やディスプレイなどは、現場スタッフに一任されている。そればかりか、オペレーションや予算設定までも、現場主導なのだそうだ。
「ああしろこうしろ、これはおかしいんじゃないか、っていうことは一切言いません。もともと素人なので、できる人にお願いしようという気持ちの方が、当初から強かったからですね。
引っ張る力がないから、みんなが自主的に動いてくれる。業績が右肩上がりで成長し続けているのは、お客様・取引先様、そしてスタッフのおかげです。自分ができないことが、幸いしましたね」
取材を終えて、工房から一番近い「よこすかポートマーケット店」へと足を運んだ。平日の昼過ぎということもあり、館内の客はまばらだ。けれど、年配の夫婦や夏休み中に遊びに来た親子連れなど、店を訪れる人は絶えない。みな端から端までショーケースを眺めるが、一番人気の「北海道フレッシュクリームプリン」を選ぶ人が目立つ。
筆者もイートインでプリンをいただいた。スプーンを差し入れる瞬間、工房の方々の姿を思い出し、「いただきます」と心の中で唱える。口に入れると、優しい甘みが広がるのと同時に、どこか懐かしい気持ちになった。
「高い」「サイズを小さくできないのか」という声は、売り場からはもう聞こえない。今や「マーロウ」の代名詞となったビーカープリンは、老若男女の心をがっちりと掴んでいる。

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弓橋 紗耶(ゆみはし・さや)

フリーライター

1987年、神奈川県生まれ。2010年からインフラ企業で営業・営業企画を経験し、2022年に独立。現在は、ストーリーライティングを軸とした取材・記事執筆などを手がける。企業の広報から経営者インタビューまで、営業現場で培った人との対話力を活かし、企業の持つ本当の価値や想いを言葉にして伝えている。

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(フリーライター 弓橋 紗耶)
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