書評家の東えりかさんの夫・保雄さんは原因不明で倒れたものの入院先の病院で診断が下りず、セカンドオピニオンを受けるために別の病院を訪れた。そこで医師から告げられた診断結果は、発見も治療も難しいがんだった――。

※本稿は、東えりか『見えない死神 原発不明がん、百六十日の記録』(集英社)の一部を再編集したものです。
■病名がつかない夫の病気の正体が知りたくて
駒込病院のセカンドオピニオンには、私の実妹が付き添ってくれた。
彼女は長く保育士として勤め、いくつかの公立保育園で園長の経験がある、かなり肝の据わった人なので心強い。面会の約束時間の1時間以上前に到着し、受付でデータを渡し、一緒に待合室に座って待った。
保雄の勤務先に来るのは初めてだ。驚いたのは、待合室の人の少なさだった。あとで知ったが、当時の駒込病院はコロナ患者の受け入れ病院として新患を制限せざるをえなかったという。ひとつの長椅子に整然とふたりずつ腰掛けられる余裕があり、渡された手元のブザーが振動するので、館内放送や声による呼び出しがない。
そうか、保雄の入院している病院になぜあんなにイライラさせられたのかがわかった。各科の呼び出し放送が、競い合うように大音量だったからだ。
セカンドオピニオンを引き受けてくれたのは腫瘍内科部長の下山達医師。すらりとしてシャープな印象で、少し近づき難い感じがした。
だが診察室で前に座ると、「大変でしたね」と柔らかく声をかけてくれた。緊張して苦しいほどの胸の中が、一瞬緩んだ。ここでも録音の許可を取った。
■病の正体は「原発不明がん」
渡した保雄のデータはすでにパソコンに映し出されており、私との面談が始まるまでの1時間で同じ科の医師と最初の症例検討も行われたという。
挨拶もそこそこに、すぐにデータを映したモニターを見ながらの話が始まった。
下山医師の話は以下の通りである。
・まだ、現病院で診断が付いていないという状態は理解した。今後、診断が変わる可能性があるが、現段階ではもらったデータからの判断、説明になるということは理解してほしい。
・チームで検討した結果、東さんのがんは「原発不明がん」ではないかと診断する。

■「がん」と「癌」では意味が異なる
「まず、」と口を開いた下山医師は、これから治療を行うに際して、どうしてもがんの基礎知識が必要になる、と言う。「がんとは何か」についてのレクチャーが始まった。
「がん」とは悪性腫瘍の総称であり、骨や筋肉にできる「肉腫」や血液やリンパ節のがんといわれる「白血病」や「悪性リンパ腫」なども含まれる。
その中で、漢字の「癌」は、肺や胃など臓器の上皮細胞(粘膜など)から生まれた悪性腫瘍を指している。ひらがなの「がん」と漢字の「癌」では意味が異なることをまず理解しておいてほしい、という。
私はこんな初歩的なことすら自分がまったく知らなかったことに驚いた。
下山医師がさらに続けた。
・ほとんどの「がん」は最初に発生した臓器の粘膜細胞にできることが多い(これを「原発部位」と呼ぶ)。
・「がん」の治療方法は原発した臓器ごとに異なる。転移した場合、治療は原発臓器の治療方法に従う。つまり、肺が原発だと判断されたら転移先がどこでも肺がんの治療を、胃が原発なら胃がんの治療を行う必要がある。
・治療の最終判断には、病理診断が必ず必要である。どこが原発であるか見極めて判断することが一番重要であることを覚えておいてほしい。

■原発部位のわからない難治のがん
保雄の場合はどうなのか。私にわかりやすいようにと、かみ砕いて説明を始めた。

・今回診断した原発不明がんとは、希少がん・難治がんの一種であり、まれに見られる、原発の場所ではない転移先の臓器でどんどん大きくなってしまうタイプのがんのことを言う。
・東さんの場合、治療方針を決めるために原発部位を突きとめることが最優先となる。病理診断などを行い、早急に確認をしなくてはならない。組織(細胞の塊)の標本があれば、その特徴から原発を推定しやすくなるが、今回のように腹水などの体液から出たがん細胞は液体の中にバラバラに存在するため、原発部位が特定しにくい。
・東さんから見つかったのは「腺癌」だという判断が現在の病院でなされている。たぶんどこかの臓器の粘膜から出たのであろうことが推測できる。
・最近は技術が進み、たったひとつの細胞からでも原発部位が推測できる場合もある。当院にはがんを専門的に診断している病理医が多く、そうした診断も行っている。原発箇所が推定できれば抗がん剤の選択肢が広がり、治療効果もまったく変わってくる。
・だが、どうしても原発箇所の特定ができない場合があることも理解してほしい。その場合、オールマイティに効き、大きく外れることはないが、予後の成績が良好とはいえない抗がん剤を投与することとなる。
・現状では、東さんのがんは「原発不明の男性の腹膜播種」と診断する。
このがんの予後は非常に厳しい。治すことは難しく、抗がん剤によってがん細胞をたたき、一般的な日常生活が送れるようになるまで回復させることが目的になる。完治することはないと思ってほしい。日常生活のどこまで戻れるかは、抗がん剤治療の結果によって大きく変わる。
・さらに納得しておいてほしいのは、がんが進行して末期になった場合、強引な延命措置は取らないということである。がんの進行の結果心臓が止まってしまった場合、心臓マッサージをしてもがんが良くならない以上、心臓はもとに戻らない。なので、強引に心臓マッサージを行っても、それは治療にならず患者に苦痛を与えるだけになってしまう。がんの終末期においては、患者に苦痛を与えないようにすることが最優先であり、現在のがん治療では、それを大切にしている。
・もし抗がん剤治療を断念せざるを得なくなった場合、最終的には緩和治療によって日常のQOL(Quality of Life:「生活の質」などと言われる、患者の身体的、精神的、社会的活動の満足度)を上げていくことが目的となる。いまは緩和治療=終末医療ではなく、状況が良くなればまた抗がん剤治療を再開できる可能性も残されている。

■3カ月もの間診断が下りなかったのは「不運」
一気にここまで聞いてから、私はようやく最悪の事態になりつつあることを認識した。それまでに聞いたどんな説明より明確であり、指針もはっきり示してくれている。

だが確定診断が出ていないと言われている現状で、本当にがんと判断していいのかと訊ねた。
下山医師は、1回でもクラスVの細胞が出れば、がんであると言い切っていいという。
「腫瘍マーカーとはあくまで目安にすぎず、それまで何も出ていなくても、クラスVの細胞が発見されれば、我々のような腫瘍内科の専門医ならがんと判断して精査を行います。現病院の病理報告もセルブロック(細胞固定)から診断しているので、がんに間違いないと判断していると思う」
私は、長い間の疑問である、耐え難い苦しみの根幹を知りたかった。なぜいまの病院で3カ月もの間、原因が突き止められず、診断がつくまでこんなに時間がかかったのか。
すると下山医師は少し顔をゆがめて、「診断まで時間がかかったのは不運としか言いようがないのです。きちんと検討しなければ断言できませんが、発見がたいへん難しいがんであることは間違いないと思います」と答えてくれた。
■抗がん剤が効かなければ緩和ケアへ移行
いまの病院に私も保雄もたいへん大きな不信感を持っていることを告げ、転院させてもらえるかと聞くと、「現状は非常に切迫していることが推測されるので、すぐに転院させたほうがいいでしょう」と応じてくれた。
だが転院しても診察の結果、抗がん剤が使えない状態、あるいは効かないと判断した場合は、腫瘍内科への入院を継続することができない。その場合は駒込病院内にある緩和ケア病棟に移れるように、入院の申し込みをしておく必要があるという。
駒込病院の緩和ケア病棟は評判がよく、いつも非常に混みあっているが、この病棟に入院できるとわかればいつでも腫瘍内科に転院してきてよいですよ、という許可が出た。
緩和ケア病棟に入院許可を取る? それはどういうことなのか。
正直、あまりにも話の展開が急すぎて、何が何だかわからない。だがこの病院に転院するためには、緩和ケア病棟の予約を取ることが必要条件であることはなんとか理解した。
■混乱して医師の説明を理解するのも一苦労
矢継ぎばやに下山医師の指示は続く。
「緩和ケア病棟に入るためには、まず家族の面談が必要になるのですが、その予約は週に2度、火曜日と木曜日の13時から16時までの3時間だけ電話で受け付けています。まずはその予約を取って面談を受け、将来緩和ケア病棟の入院を希望された時に入棟可能かどうかの判断を緩和ケア病棟の医師に仰いでください。了解が取れれば抗がん剤治療の開始が可能と判断し、腫瘍内科に入院できます」というのだ。
混乱する私に、下山医師は何度も、とにかくいまはこの方針に従って段階を追って手続きを進めてほしい。できるだけ早く治療を開始するために必要なことなのだから、と告げていったん席を外した。
■「抗がん剤が効かなければ死ぬ」のか
私はパニックになりながらも、頭の一部で冷静に状況を判断していた。
ようやく保雄が「がん」であり、それが相当難しい希少がん・難治がんの「原発不明がん」というものだと理解した。予後が悪い、完治しないがんなのだということもわかった。
だが抗がん剤が効かない場合はその先が無い、つまり死んでしまうのだ、と言われてもまったく理解できない。
治療が不可能と判断された場合は、緩和治療に入ると言われた。それはホスピスに入って死を待つということなのか。そんなに保雄の状態は見込みのないものだったのか。
抗がん剤が効かないと判断された場合、ほかに取れる選択肢はあるのだろうか。
とにかくいまは、下山医師から指示されたことを着実にこなして、この病院に転院する。それしか考えられなかった。
妹は、ずっと背中を撫でてくれている。ひとりで来なくてよかった。
いまは治療が始まって、効果が表れ、日常生活ができるようになるのを願うしかない。後のことは後のことだ。

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東 えりか(あづま・えりか)

書評家

1958年千葉県生まれ。信州大学農学部卒。動物用医療器具関連会社で勤務の後、1985年より小説家・北方謙三氏の秘書を務める。2008年に書評家として独立。2011年から2024年までノンフィクション書評サイト「HONZ」副代表を務める(現在閉鎖)。日本推理作家協会会員。『週刊新潮』『小説新潮』『婦人公論』『本の雑誌』『公明新聞』『日本経済新聞』で書評を担当。文庫解説担当著書多数。

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(書評家 東 えりか)
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