書評家の東えりかさんは、原発不明がんで余命1週間とされた夫・保雄さんの緩和ケアを自宅マンションで行っていた。ある日、夫婦の思い出が詰まったバルコニーからの景色を見せたいと思い、ヘルパーへ車いすの移動をお願いしたところ、「身体介護ではないのでできない」と断られた。
だが、ヘルパーは思いもよらぬ「機転」を利かせてくれた――。
※本稿は、東えりか『見えない死神 原発不明がん、百六十日の記録』(集英社)の一部を再編集したものです。
■余命1週間と言われ自宅での緩和ケアへ
「1週間は持たないと思う」と言われた日々が始まったが、初日こそ具合が悪そうでぐったりしていた保雄は、2日目から生気を取り戻した。
まるで別人になったように顔色が良くなり、笑顔を見せ、会話も弾む。訪看さんにも、自分がして欲しいこと、して欲しくないことをはっきり意思表示する。
毎朝来てくれる訪看さんとは、バイタルチェック後、輸液や貼り薬を取り替えたり褥瘡の手当てをしてもらったりする合間に、3人でいろいろな話をした。たわいない会話がとても嬉しい。
介護ベッドの上半身部分を少し起こすと、窓から外が見渡せる。「ここはすごくいい景色ですね」と褒められると、保雄も「気持ちいいんですよ」と応える。
ベッドを置いた場所は、風の通り道になっていた。保雄は換気を気にしていたが、それよりも外の空気を吸いたかったのかもしれない。病院の中の乾燥した空気が本当に嫌だったそうだ。

去年の秋口に入院し、クリスマスも年末年始も病院で、食事をとれないから季節感もまったくなく、気がつけば冬も終わりに近づき早春間近。寒い寒いと言いながらも、風を入れて外の香りを楽しみ、深呼吸をしていた。
■バルコニーから見る夕日が夫婦のお気に入り
28年暮らしたこのマンションは、二人暮らしには少し贅沢なほど広い。西側に広いルーフバルコニーがあり、5階から開けた風景が見える。夕方になると西日が入って眩しいほどだ。年に数回、大パノラマのような夕焼けが楽しめる日があり、ここで夜空を見上げて星や満月を観察しながらビールを飲むのは最高に気持ちがよくて、お互いに大のお気に入りだった。
彼が自宅で療養しているあいだに、一度だけ、まるでご褒美のように素晴らしい夕焼けの日があった。何もかもが美しかった。風の流れさえ見えるようだ。少し背を起こしたベッドにふたりで座り、手を繫いで、静かな音楽が流れるなか、空じゅうを真っ赤に染めた夕焼けが暗くなるまで、ずっと見つめていた。
私は泣けて泣けて仕方なかったのに、保雄は私の頭を撫でながら、「泣かなくていいじゃん、こんなにきれいなのに」とニコニコしていた。
彼にとってこれは、人生の最後にあらゆるものが愛おしく感じられるという「末期の眼」の時だったのかもしれない。
その時に撮った自撮りのツーショットが最後の写真となった。
■「介護じゃないからできない」と一度は断ったヘルパーの機転
保雄が少し元気のある日、車椅子に乗せてこのバルコニーに出てみようと思い、訪問介護のヘルパーに手助けを頼んだことがある。
だが、来てくれた若い男性ヘルパーに「これは身体介護ではないのでできない」と断られたのには驚いてしまった。点数で決められている「介護」の範囲は厳しく制限されているんです、と申し訳なさそうにしている。
「ケアマネさんに相談してもらえますか」と言うので、その場で高梨さんに電話した。するとヘルパーと電話を代わるように言われ、彼と少し話をしたあとにもう一度私と代わり、「大丈夫ですよ、サービスの変更をしましょう」と電話を切った。
ヘルパーは「ベッドのシーツ交換をするため、車椅子に移乗していただきます。その間、少し外の空気に触れましょう」と言い、保雄を車椅子に乗せてバルコニーまで連れてきて、外に出してくれた。風が強くすぐに寒くなってしまったので、ほんの10分ほどの時間だったが、彼は全身に風を浴びることができて、とても満足そうだった。
■介護のプロの質は経験の多さによって左右される
保雄は外の景色や音、そして自然の香り全部に感動していた。住んで28年も経つというのに、こんなに広く気持ちのいい場所だったことにいまさらながら気づいたようだった。仕事の忙しさにまぎれ、普通に暮らしていた時は気づかなかったと、ひとつひとつのことに驚き、言葉に出して喜んだ。

私は近くに咲いている椿の花や顔を出したばかりのツクシを摘んできて見せたり、まだ春が浅くへたくそなウグイスの声を聞いて一緒に笑ったりした。それが嬉しかった。
ケアマネや看護師、ヘルパーらプロの働きを見ていると、介護の質はスタッフの経験の多寡によって大きく左右されると感じる。介護経験のまったくない私のような者は、設置されたものをただ受け容れる以外に考えが及ばない。
ケアマネは私からの依頼を待たずに、様々な手続きを先手先手を打って済ませてくれていた。
訪問入浴は帰宅した初日に申し込み、訪問マッサージの予約も2日目には取ってくれた。介護生活が長くなる可能性を想定して、オムツの補助や散髪など、公費で賄えそうなもののチェックリストを作って、私の心配が少しでも軽くなるよう工夫してくれた。
■素人には難解な介護用品のレンタル
訪看さんも、気づいたことがあれば即座に手を打ってくれた。最初に据えられていた介護ベッドは上半身しか起こせないものだったが、それではすぐに足がむくんでしまう。駒込病院では膝下を90度に折り曲げられる介護ベッド(椅子に座るような形になる)を使っていて、「そのほうがずっと楽だった」と保雄がぼやくと、介護用品のレンタル業者に電話して、その日のうちにグレードアップしたベッドが搬入された。このベッドに替えると、足のむくみが軽減したのはありがたかった。
介護用品のレンタル業者は分厚いカタログを置いていってくれた。
だがレンタルできる介護用品をどのように使い、選ぶことができるのか、こちらからリクエストしてもいいのか、頼めば可能な限り応えてくれるのか、ということは誰も教えてくれない。
ベッドの入れ替え前に、業者から、新しい介護ベッドはレンタル料が少し高くなると心配してもらったが、「お金の問題ではない」と言うとすぐに応じてくれた。保雄が満足するなら、金額なんかどうでもよかった。
ただ、誰もがそうとは限らないのは理解できる。介護が長期になり、年金だけで生活している人にとっては、少しの金額の違いも問題になるだろう。私たちには自由になるお金が多少あったのだ。
■坐薬だけは「妻にやってほしい」と泣きついた
介護制度を利用する側は、与えられたものに感謝して「ありがたい」と思っているだけではダメなのだ、と気づく。介護スタッフには様々な知識と経験があり、利用者のリクエストに応えようとしてくれていることはもっと知られてもいいのではないか。
まわりの介護経験者に聞いても、レンタル機材の使い勝手の良し悪しまで気がまわらなかったと誰もが言う。そんな時、プロのアドバイスやひと言がどれほど力になることか。ケアマネも訪看も、経験値がものを言う世界で、頼めば惜しみなくその知恵を共有してくれる。その点、私たちはとても恵まれていた。

ただ訪看のみなさん、特に所長の木林希美子看護師(仮名)はテキパキしすぎていて、保雄は少し怖がっていた。痛み止めの坐薬を挿入するときも、「えりかがやったほうが痛くない」と私にやってほしがった。「訪看さんは一日に何人もの患者を診るのだから、手早く失敗しないように強くさっと済ませるんだと思うよ」と言うと、「痛いのは我慢したくないんだ」と泣き言を言った。木林さんの手早さは、私にはとてもありがたかったのだけど。
■頼りになった医療相談員
週に一度来るクリニックの医師は、特別なことをしてくれるわけではないが、静かに保雄の話を聞いてくれていた。笑顔で「うんうん」とうなずいてくれるだけで安心できた。
保雄は最後まで自分の血液検査の結果を知りたいと望んでいたので、願いを叶えるためにいちばんのベテラン看護師に採血を頼み(血管が細くなっていて非常に難しかったようだが)、検査に出してもらった。データが届いたのは死の直前だったので、あんなに望んだ結果を保雄は見ることはできなかった。残念だっただろうと思う。
右も左もわからないまま始まった在宅療養で、非常に頼りになったのが、クリニックの医療相談員だった。物静かな若い女性で、ほぼ毎日訪問してくれ、体調や困りごとはないか尋ねてくれた。そのあとで看護師や医師が必要とする薬や医療器具をチェックし、ガーゼや絆創膏、痰の吸引用チューブや坐薬用の潤滑剤などの数と量を確認して、足りないものは訪問薬局やレンタル業者と頻繁に連絡を取って補充する。

訪看が帰ったあとの、私たちふたりしかいない午後の早い時間に来てくれたので、業務連絡の話をするだけでも私は心強かった。

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東 えりか(あづま・えりか)

書評家

1958年千葉県生まれ。信州大学農学部卒。動物用医療器具関連会社で勤務の後、1985年より小説家・北方謙三氏の秘書を務める。2008年に書評家として独立。2011年から2024年までノンフィクション書評サイト「HONZ」副代表を務める(現在閉鎖)。日本推理作家協会会員。『週刊新潮』『小説新潮』『婦人公論』『本の雑誌』『公明新聞』『日本経済新聞』で書評を担当。文庫解説担当著書多数。

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(書評家 東 えりか)
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