今年、熊による死者数は13人となり(11月12日時点)、過去最悪だった23年度の2倍を超えた。なぜ人を襲う熊が急増しているのか。
新潟県村上市にある山熊田という集落で、マタギの夫と暮らす大滝ジュンコさんは「50年近く熊狩りを続けている夫は『マタギの常識が通用しない熊が増えた』と話している」という。ライターの山川徹さんが聞いた――。
■なぜ市街地にクマが出るようになったのか
――連日、熊による被害がメディアで報じられています。大滝さんは、新潟県村上市にある山熊田というマタギ集落で、マタギである夫と生活していますが、例年と比べてどうですか。
【大滝】ぜんぜん違いますよ。村上市には、熊の目撃情報を住民に知らせるアプリがあるんです。昨年までは1日に1件でも通知があれば騒ぎになるほどでしたが、最近は1日10件の目撃情報なんて、ざら。今年、村上市でも熊の出没件数は過去最多です。
この秋は、熊のエサとなるブナの実が大凶作です。山には熊のエサになる物がほとんどありません。しかも、村上市街地の中心部には三面川という川が流れています。熊はエサを求めて、河川敷を歩いて、山から町中に下りてくる。
だから山から離れた海に近い町や集落でも、熊がよく出没しています。
村上市は、海に近い浜側と、私たちが暮らす山間部の2つの地域に大きく分けられます。
以前は、海側に出没するのは、体長1メートルに満たない小さい熊が多かったんです。縄張り争いに敗れた小さな熊が、エサが豊富な山から弾き出されて、町に現れていたのだと思います。
数年前の夏の話ですが、町に出没した熊が罠の檻にかかりました。その後、仲間のマタギたちが熊を仕留めました。私も解体を手伝いましたが、胃の中を見たら葉っぱしか入っていなかった。食べる物がなくてかわいそうだなと感じたのを覚えています。猟期に捕れた熊の胃は、キノコ類や果物、木の実、虫などで満たされていて、身体も大きいですから。
■巨大クマの毛皮を剥いで驚いた
【大滝】しかし今年は、かなり大きな熊も町に現れるようになりました。
10月末に、浜側の養鶏場に仕掛けた罠に熊がかかりました。鶏のエサを狙ったのでしょう。
いつものようにマタギたちがとどめを刺しました。
私も手伝いましたが、まずはその大きさに驚きました。私と同じくらいの大きさ――150センチを超える熊がかかっていたんです。これまで町場でこんな大きな熊を見ることはありませんでした。
解体中にもう一度、驚きました。
いまは、熊が冬眠に備えてたくさん食べて、脂肪を蓄える時期です。150センチを超える大きな熊なら、毛皮を剥ぐと10センチ近い厚さの真っ白い脂肪層が露わになります。しかしその熊の脂肪層はかわいそうになるくらい薄かった。確か4、5センチくらい。これだけ大きい熊でも栄養不足なんだなと思いました。
私は、脂身の味噌漬けが好きなんですが、残念ながらいつもよりも少量しかつくれませんでした。
■「最近はわけが分からねえ」
――熊の脂身の味噌漬けおいしそうですね。

でもこんなに脂肪層が薄かったら、冬眠できずに雪が降っても町を徘徊する熊も出てくるかもしれません。村上の冬の風物詩は、民家の軒先に吊された塩引き鮭。もしも鮭を狙って熊がうろうろするようになったら……。雪が降り、熊が冬眠したら、被害が減ると考えている人もいますが、今年は雪が降っても注意が必要かもしれません。
――熊の数も増えているのですか?
確かにマタギ仲間のなかには、熊が増えたという人もいます。ただし、それが本当なのかは分かりません。誰も個体数を調べていませんから。ただ50年近く熊狩りを続けている夫は、最近は嫌な熊が増えたと話しています。「熊の習性を分かっていたつもりだったけど、最近はわけが分からねえ」と。
夫によれば、熊はとても執着心が強い反面、臆病な動物でもあるそうです。しかし最近は人間を恐れない熊が増えたと言います。
熊は、山のなかでたくさんの実がなる木などに執着します。
それをマタギたちは熊が“付く”という言葉で表現します。マタギたちはそうした熊が付いた木や、季節の移ろいによって変わる山の状況を勘案しながら、熊を探します。
■執着心が異様に強い熊
【大滝】でも、本来は臆病だから、人の気配や、不自然な物音がしたらすぐに姿を消してしまう。だから、たまに人里に下りてくる熊が、人家の庭に植えられた木になった柿や栗をかじる被害はありましたが、人影が見えたらすぐに逃げていました。
夫は、最近は、マタギの常識が通用しない熊が増えたと言っています。町中の柿の木や果樹に“付く”熊が増えたからです。臆病さが失われて、執着心が強い熊が増えたと感じているようです。
――マタギたちは、なぜ、嫌な熊が増えたと考えているのですか?
おそらく人間側が熊に隙を与えすぎたからです。マタギたちは十数年前から町中に放置されている栗の木や柿の木、果樹を伐採するように口を酸っぱくして呼びかけてきました。熊のエサになるからです。しかし少子高齢化の影響もあり、誰も手入れせずに放置された柿の木や果樹が町のあちこちにあります。あとは、残飯や、生ゴミも熊のエサになる。

今年になって、みな熊に怯えて、放置された果樹を伐採したり、ゴミの出し方に注意したりしはじめましたが、裏を返せば、熊がたくさん出没するようになるまで、熊の被害を他人事と受け止めていたのだと思います。
■マタギと熊の特別な関係
――町ではたくさんの熊が目撃されているのに、大滝さんたちが暮らす山奥の山熊田には熊が出没しないそうですね。
それは、たぶん熊が山熊田を恐れているからです。
山熊田では、年間を通して熊狩りをしていますが、そのなかでも集落でもっとも大切にしているのが“熊巻き”と呼ぶ春の巻狩りです。
冬眠明けの熊を狙う巻狩りでは“勢子(せこ)”という役割を担う十数名ほどのマタギが大声を張り上げながら、熊を山の頂に追い立てて行きます。頂は“マチバ”と呼ばれます。“マチバ”には、鉄砲を持ったマタギが待ち構えている。正式な記録は残っていませんが、江戸時代以前から山熊田では伝統的に巻狩りを行っていたと言われています。
春の巻狩りだけで、毎年、数頭の熊を捕獲します。昔から春になると人の声と銃声で熊を脅し続けているわけですから、熊も山熊田に近寄ろうとはしないのかもしれません。熊は学習の力が高く、過去の経験を多く蓄積すると言われています。親から行動を学んだ子たちは、山熊田は人間の縄張りだとすり込まれているのでしょう。

この村の人々は、自分たちは熊を含めた山の生態系の一部にすぎないという意識を持っています。そんなマタギにとって熊巻きは、タンパク源の確保以上の意味を持ちます。命懸けの熊巻きは、マタギと熊の命の駆け引きであり、仲間意識を醸成し、マタギ特有の自然観や死生観を受け継ぐ機会にもなっています。
何よりもマタギは、熊を山の神からの授かり物と捉えています。熊巻きはマタギたちにとって、神事と言っても過言ではない猟なのです。
■時代が大きく変わってしまった
――マタギたちにとっては春の巻狩りと、町で罠にかかった熊を仕留める害獣駆除では意味が違うわけですね。
一般的な視点では、巻狩りで捕獲した熊も、罠にかかった熊も同じに見えるでしょう。
当初、夫は、害獣駆除に対して複雑な感情を抱いていました。罠にかかって動けなくなった熊の命を奪うことは、マタギにとって、卑怯な行いに思えるのかもしれません。ゲーム感覚で狩猟を行うハンターとは、価値観や考え方が違いますから。
それに罠にかかった熊は、本当に気の毒なんです。
なんとか罠から逃れようと興奮し、鉄の檻を囓って歯が欠けたり、体当たりを繰り返して全身痣だらけになっていたりする熊ばかりです。一時期、手負いの熊を仕留めることに対して、夫は折り合いがつけられずに悶々としていました。
でも、最近、熊による人身被害が増えたせいか、腹を括ったようです。熊の被害がこれほど増えてしまったら、きれい事ばかりを言っていられない。誰かがやるしかないのなら、自分たちが……と。害獣駆除は、いまの時代に与えられたマタギの役割、そんなふうに捉えているのかもしれません。
とはいえ、簡単に割り切れるものではないと思います。ただ私の目には、マタギたちの葛藤が、時代や社会が変化していくなかでも、山の恵みとともに生きてきた伝統や、精神性を受け継いできた証しにも見えるのです。

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大滝 ジュンコ(おおたき・じゅんこ)

羽越しな布作家

1977年埼玉県坂戸市生まれ。東北芸術工科大学金属工芸コース卒、同大学院実験芸術コース修了。立体造形、インスタレーション、パフォーマンス、文章など、その場その時に適した表現手法を用い、全国各地、各国で活動を行う。村上市山熊田のマタギを取り巻く文化に衝撃を受け、2015年移住。現在は山熊田に伝わる国指定・伝統的工芸品「羽越しな布」を継承し、個人工房設立。羽越しな布の制作や育成、振興に取り組む。

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山川 徹(やまかわ・とおる)

ノンフィクションライター

1977年、山形県生まれ。東北学院大学法学部法律学科卒業後、國學院大学二部文学部史学科に編入。大学在学中からフリーライターとして活動。『国境を越えたスクラム ラグビー日本代表になった外国人選手たち』(中央公論新社)で第30回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。著書に『カルピスをつくった男 三島海雲』(小学館)、『最期の声 ドキュメント災害関連死』(KADOKAWA)などがある。最新刊に商業捕鯨再起への軌跡を辿った『鯨鯢の鰓にかく 商業捕鯨再起への航跡』(小学館)。

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(羽越しな布作家 大滝 ジュンコ、ノンフィクションライター 山川 徹)
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