朝ドラ「ばけばけ」(NHK)ではラフカディオ・ハーン(小泉八雲)をモデルとするヘブンがたびたびカンシャクを起こし、小泉セツをモデルとするトキ(髙石あかり)を困らせている。ハーンの評伝を書いた工藤美代子さんは「アメリカでの結婚・離婚歴のあるハーンだが、セツはまさにハーンを受け止められる女性だった」という――。

※本稿は、工藤美代子『小泉八雲 漂泊の作家ラフカディオ・ハーンの生涯』(毎日文庫)の一部を再編集したものです。
■なぜハーンにとってセツは特別だったのか
ハーンの目に映った妻のセツは、親孝行で働き者で、しかも日本の昔話を上手に語ることができる女性でした。しかし、それだけでは、あれだけ仲睦まじい夫婦は生まれなかったと思うのです。
彼女が、ハーンの今まで知っていた女性と決定的に違う点とは具体的には何だったのでしょう。その秘密は、ハーンが亡くなった後に発表された小泉セツの『思い出の記』に隠されているような気がします。その中でセツはハーンの性格を語っているのです。(文中「ヘルン」とあるのは、当時の日本人がハーンを呼ぶときに用いたいい方で、セツもそう呼んでいました。)
「私が申しますのは、少し変でございますが、ヘルンはごく正直者でした。微塵(みじん)も悪い心のない人でした。女よりも優しい親切なところがありました。ただ幼少の時から世の悪者共に苛められて泣いて参りましたから、一国者の感情の鋭敏なことは驚くほどでした。」

ここで「一国者(編集部註:頑固で自分を曲げない人)の感情の鋭敏なこと」というのは、もしかして英語でいうところのエキセントリックということかもしれません。
■セツの手記「ヘルンの勉強を妨げたりすると…」
「嫌いとなると少しも我慢いたしません。
私はまだ年も若い頃ではあり、世馴れませんでしたから、この一国には毎度弱りましたが、これはヘルンのごくまじりけのないよいところであったと思います。」
「人に会ったり、人を訪ねたりするような時間をもたぬ、といっていましたが、そのような交際のことばかりでなく、自分の勉強を妨げたりこわしたりするようなことから、一切離れて潔癖者のようでございました。」

その複雑な生い立ちのためか、あるいはアメリカで不遇の月日が長かったせいか、それとも容姿についてのコンプレックスがあったためか、いずれにしてもハーンは他人と意思の疎通をはかることが苦手でした。思い込みが激しく、しばしば常識の枠を超えたところで行動したのです。それ故に、ハーンの友人や最初の妻は、彼を強く非難しました。一部の例外を除いては友情も恋愛も長続きはしなかったのです。しかし、セツの筆致には、ハーンを非難する調子はありませんでした。エキセントリックな側面を、かえって彼の純粋さの証明だと受け止めていたのです。
■セツは自分を全肯定してくれる女性
これまでに男性女性をふくめて、これほど無条件に彼を受け入れてくれた人間はいませんでした。当時の日本の社会では、妻が夫の生活様式に従うのは当然だったのです。また、ハーンが外国人であったため、セツは初めから夫に日本の常識を求めていなかったとも思えます。しかしハーンにしてみれば、自分自身を全肯定してくれる人間などこの世にいるとは考えてもいなかったでしょう。それでも、全肯定してくれる人間を、悲痛な思いで捜し続けて放浪の旅を重ねていたのがラフカディオ・ハーンのそれまでの人生だったともいえます。
その生涯を小泉八雲の妻として終えたセツは夫をとても誇りに感じていました。

これは私個人の推測に過ぎませんが、当時の日本では離婚歴がある女性はどこか肩身の狭い遠慮がちな生活をしていたのではないかと思うのです。
私事で恐縮ですが、私は昭和25年生まれで、両親は私が小学校の低学年の時に離婚をしています。この時私は母に引き取られて一緒に住んでいました。それでもなぜか父方の姓を名乗り、両親が離婚していることは誰にも言ってはいけないと強く母に言い含められました。あれはいったい何だったのだろうと今頃になってよく考えるのです。
「女が離婚されるっていうことはね、その後の生活は常に人様に気を使って頭を低くして暮らさなきゃならないってことなのよ」と母が寂しそうに言ったのは私が10歳くらいの時でした。
■離婚歴があるセツにとっても理想的な再婚
でも、私は自分の人生で、両親が離婚しているからといって差別を受けたことは一度もありませんでした。それは戦後の日本の社会が、以前よりずっとオープンになったからでしょう。ただ、大正生まれの母の胸の底に残るわだかまりは、確かに存在したと感じます。
まして、(編集部註:一度目の結婚で)明治の初めに夫に去られたセツの気持はさぞや切なかったと思います。いささか極端な表現をするなら、女性としての自分を全否定されたような悲しさではなかったでしょうか。詳しくは省略しますが、いなくなった夫を連れ戻すために、わざわざセツが大阪まで迎えに行ったという話を聞いています。

さらにセツは養女に出された経緯があり養父母の面倒も見なければなりませんでした。女性の職業は限られていて、独身の場合は社会的な地位も低く見られがちだったのですから、セツの生活に対する不安はさぞや大きかったでしょう。
そう考えると、ハーンの妻となることは、セツの数々の不安を取り除いてくれることでもありました。夫となった人は、立派な家に住み、セツの養父母の面倒も喜んで見てくれる人です。まさに理想的な夫でした。
■怒りの発作に襲われたハーンは制御不能
またハーンにとっても、自分の家族が日本にできるなどとは想像もしていなかったでしょう。むしろ大家族の長として老人たちに尊敬され感謝される立場にあるのは、人生で初めて見る光景だったのですが、きわめて心地良い思いをしていたようです。その後、この光景には子供たちや使用人などがどんどん増えて精密になってゆきます。それこそが、実はハーンがずっと憧れていた家族の肖像だったのではないかと思うのです。
ただし、後の小泉八雲はアメリカ時代とまったく変わっていない「奇人・変人」でもありました。なにしろ現実を受け止めるのがひどく下手で、怒りの発作に襲われたら最後、それを吐き出さなければ始末におえない人だったのです。いい加減大人になれば、人間は我慢する術を身につけます。
まして経済的に不利になるとわかっていたら、じっと耐えることの方が多いでしょう。
しかし、ハーンはセツが言ったように「一国者」であり「潔癖者」であることに彼女も困ったのです。では、この夫の頑固さをセツがどう乗り越えたかというと、それは日本という国で、時代がもたらしてくれた知恵を彼女が備えていたからではないかと思うのです。
けして男性を差別するつもりはありませんが、江戸時代の空気を色濃く残す明治にあって、ハーンのように短気で誇り高い日本の男性は実はものすごく多かったのではないでしょうか。
■短気ですぐ怒る夫に妻たちはどう対処したか
またしても私事で気が引けるのですが、私の祖父は明治20年代に青森で生まれ、15歳で家を飛び出して、後に東京で写真館を開きました。それが昭和2年のことでした。祖母とは関東大震災の前に結婚しています。いざ写真館を始めたら、写真の出来栄えに文句をつける客も当然いるものです。すると祖父は烈火のごとく怒り、写真を客の前でびりびりに引き裂き、金など要らないからさっさと帰れと怒鳴りつけたといいます。でも、あそこの写真館の親父は写真は下手だし癇癪持ちだなどという評判が立ったら、お客の足は途絶えます。
そんな時に、そっと玄関の外に出て客を待ち、平謝りをするのはいつも祖母の役目でした。しかも弟子に大急ぎで写真を焼かせて、そのお客のところへ届けて、しっかり写真代を貰って帰って来るのです。

これは明治の女性たちが備えていた生活の知恵だったのではないかと私はいつも思っていました。なにしろ武家の時代は終わってしまい、路頭に迷う元藩士は山ほどいたでしょう。それはセツの実家でも同じでした。その逆に、新しい時代に乗じて巨万の富を築いたり、士族でもなかったのに華族になってしまった平民もけっこういました。
■ハーンの抗議行動をセツがフォローした話
才覚のある人間が世に出る激動の時代において、ハーンの不器用さは、明治の男たちに共通する部分があったような気がします。
セツが後に回想記に書いているのですが、ある時、アメリカの出版社に対して猛烈に怒ったハーンは激烈な言葉で抗議文の手紙を書きました。それをすぐに郵便局へ持って行くようにセツに命じたのです。ただ「はい」と答えたセツは、しかし郵便局へは行かずに、2、3日様子を見ていました。するとハーンはつくづく困った顔で、あの手紙はどうしたか、もう投函してしまったかとセツに聞くのです。あまりに厳しい言葉で罵ったことを、ハーンは後悔し始めていたのでしょう。そこで初めて、セツはまだ投函していないことを知らせます。「さすがママさんです」とハーンは大喜びしたといいます。

もちろん、これは怒りの感情をコントロール出来ない夫の弱点を良く知りつくしているセツだからこそ、なせる業でした。そして私は、この当時の日本には、新しい時代に上手く適応できず、金勘定が下手な男たちがきっとたくさんいたような気がするのです。賢い明治の女性たちは、その辺をうまく調整して、上手に裏方をつとめていたのではないでしょうか。

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工藤 美代子(くどう・みよこ)

ノンフィクション作家

1950年、東京都生まれ。18歳でチェコのカレル大学に留学。帰国後に70年大阪万博の通訳。72年の札幌五輪のコンパニオンをつとめる。73年にカナダに渡りコロンビア・カレッジを卒業。93年に日本に帰国。昭和史、皇室関係のノンフィクションを執筆。『工藤写真館の昭和』で講談社ノンフィクション賞受賞。主な著書に『悪名の棺 笹川良一伝』『絢爛たる醜聞 岸信介伝』『母宮貞明皇后とその時代 三笠宮両殿下が語る思い出』『美智子皇后の真実』など。

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(ノンフィクション作家 工藤 美代子)
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