■「新事業を生み出す起業家的人材」を育てたい
21世紀に入って以降、国内外の多くの企業や産業にとっての成長エンジンのひとつは、グローバル化だった。しかし2010年代の後半になると、それまで成長を続けていた世界の貿易の伸びが停滞するようになっていく。
そして2020年代以降の世界では、政治的あるいは安全保障上の観点からグローバル化に逆行する動きが広がり、グローバル化を成長のエンジンと期待することは難しくなっている。
こうした状況のもとで、成長のもうひとつのエンジンである、イノベーションへの期待が一段と高まっている。経済学や経営学ではイノベーションの担い手となる人を起業家(アントレプレナー)という。起業家はイノベーションを通じて、新しい事業を生み出し、企業や産業、さらには社会を変えていく。
企業の創業期は起業家的な行動のプロセスとなるが、事業の拡大とともにこの気風は廃れ、改めて社内での起業家的人材の育成に取り組む必要が生じることが少なくない。そうしたニーズにこたえているのが、「レンタル移籍」で知られるローンディールという人材育成の新興企業である。
■期間限定で大企業→ベンチャー企業へ
ローンディールの「レンタル移籍」は、大企業の人材が6~12カ月ほどベンチャー企業で働き、価値創造や事業開発に実際にかかわることで、働くなかでの学びを実現するプログラムである。サッカーのクラブ間のレンタル移籍のように、企業間でも移籍の仕組みを整えることで、人材育成の新しい可能性が生まれるのではないか――。このようなアイデアから、このプログラムは生まれた。
2015年の開始以降、ローンディールの「レンタル移籍」は大企業を含む多数の会社で採用されるようになっている。送り出し側の移籍元企業はNTT西日本、NTTドコモ、小野薬品工業、中外製薬、デンソー、日産自動車、東芝テック、野村ホールディングスなど、延べ80社を超える。移籍先のベンチャー企業の登録も現在では900社を超えており、大企業などの側の移籍の目的やねらいに合った移籍先を選定できる。

プログラムの運営のための費用は、移籍元の企業と移籍先のベンチャー企業の双方が支払う。プログラム期間中の移籍者は研修中の扱いとなり、その給与などは移籍元の企業が負担する。
■移籍元にも移籍先にもメリットが
「レンタル移籍」は、移籍元の大企業、そして移籍先のベンチャー企業の双方にとって利点のあるプログラムである。
大企業の側は、社内の人材が起業家的な思考や行動をOJTで学ぶ機会を拡大できる。海外のMBAコースに社員を派遣するよりコストも安く、関連会社への出向より、学びの目的や自社の狙いに合ったきめ細かなサポートが期待できる。
一方のベンチャー企業は、大企業の能力の高い人材に業務に参加してもらえる。そのためにベンチャー側が要する費用は、同等の能力をもった人材を中途採用する場合よりもはるかに小さい。
つまり移籍元の企業は人材育成を、移籍先のベンチャーは事業強化を実現することができるわけである。
■戻ってきた社員へのサポートを改善
「レンタル移籍」におけるローンディールの役割は、派遣元の企業からその目的やねらいを個別に聞き取り、それに合ったベンチャー企業を900社の候補のなかから選定することである。ベンチャー企業にとっても、取引先などからの出向に比べ、より自社の事情に合った人材の受け入れを実現できる。
移籍期間中、同社は移籍先での社員の活動について週次/月次のリポートを移籍元に届ける。さらに移籍中の社員には、外部の起業家やコンサルタントに面接する機会を月一回設け、移籍先で直面した問題や悩みについて相談できる体制を整えている。

そして移籍の終了後も、ローンディールは戻ってきた社員への配慮や対応について、移籍元の人事部などに助言を行う。ベンチャー企業で起業家的行動を存分に体験してきた人材を、ただ元の職場に戻したのでは、環境の違いが大きすぎて葛藤やジレンマを生じやすいからだ。
「レンタル移籍」の開始当初は、復帰後のギャップに悩んだ元移籍者から「会社を辞めたい」と連絡が入り、助言を行うようなこともあったという。こうした経験の蓄積から、ローンディールでは戻ってきた社員が元の企業で学びの成果を存分に生かせるよう、移籍後のサポートもきめ細かく行っている。
■起業家には「戦略型」と「直感型」がいる
起業家は、イノベーションの新たな機会をどのようにしてとらえるのか。経営学的には二つの説がある。
ひとつは、徹底した調査と分析を行い、それに基づく精緻なビジネスモデルを組み立てたうえで行動を開始し、機会を捉えようとする科学的アプローチ(コーゼーション型)。もう一つは、アイデアを思いついたらまず行動に取りかかり、その中で得た情報や知見を活用しながら機会をつかもうとする直感型アプローチ(エフェクチュエーション型)である。
MBAなどのビジネススクールの授業で学ぶことが多いのは、依然としてコーゼーション型の行動である。企業などの研修でも、筆者が見聞きするかぎり、用意されているプログラムの多くは、コーゼーション型の行動を学習するものである。
一方、エフェクチュエーションは、バージニア大学のサラス・サラスバシー教授が、成功した起業家たちの実例を分析した結果導き出された行動様式である。起業家の行動の要点にかかわる理論として、近年国内外で人気が高まっている。

■戦略型だけでは今の課題に対応できない
MBAコースや企業研修がコーゼーション型の行動を重視していることには、もちろん理由がある。大企業は通常、過去に何らかの起業家的機会をとらえたことで成長を果たしたわけだが、その後は確立した収益事業を守っていれば、当面の経営は安泰である。中小企業であっても、創業から時間がたち、安定した経営を実現している場合などには、似たような状況にあることが少なくない。このような企業のなかでは、コーゼーション型の行動をとることに合理性が生まれる。
ところが、人口減少社会をはじめとする未知の状況に直面するなかで、昨今では多くの日本企業が、コーゼーションに頼るだけではジリ貧が避けがたいという問題に直面している。ここにエフェクチュエーションの出番がある。
■「まず行動」精神を学ぶためには…
では、何をすればそのエフェクチュエーション型の行動を身につけられるのか。座学的な内容についてはMBAコースや社内研修などでカバーできるとしても、実務家にとっては実際に仕事をしながら学び、能力を養うことが重要となる。いわゆるOJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)型の学びである。
ところが、経営が安定している企業では、エフェクチュエーションをOJTで学べるような起業家的機会が不足するケースも少なくない。そうしたなかで、ローンディールの「レンタル移籍」は、類似の教育サービスや研修機会にはない派遣元と派遣先のマッチングや派遣後のサポートについての充実した仕組みを提供するプログラムとなっている。
「レンタル移籍」のビジネスモデルは、利用者のニーズに応える需要対応と、競合に対する優位性を備える競争対応という、戦略計画的なマーケティングの要件を多面的に実現している。
さぞ徹底した調査と分析によって起業家的機会を見いだし、コーゼーション的に戦略計画を立案したのであろうと考えたくなるかもしれない。
だが、ローンディールの現在の代表取締役である後藤幸起氏にお話をうかがうと、実際にはまず行動から始め、それによって生まれたさまざまな出会いをもとに、さらに新しい行動を重ねるなかで現在のビジネスモデルが見いだされていったのだという。エフェクチュエーション型の行動を学ぶための「レンタル移籍」というプログラム自体もまた、エフェクチュアルにつくられていったのである。
■転職で壁にぶつかった創業者の気づき
ローンディールの創業者の原田未来氏が、「レンタル移籍」の原型となるアイデアを抱いたのは、2014年のことだった。大学卒業後にベンチャー企業に入社し、そこで10年以上働いた原田氏は、そのベンチャーの上場を見届けたタイミングで、あるIT企業に転職した。異なる組織も経験してみたいと考えてのことだったが、転職先ではうまくパフォーマンスを発揮できず、壁にぶつかっていた。
とはいえ、この転職をめぐる経験は、原田氏にとってのよい学びの機会でもあった。長年働いた企業を辞めて外に出てみなければ、気づけなかったことが少なくなかった。ならば、会社を辞めずに社外を見る機会を増やす仕組みをつくれば、多くの人たちが自分と同じような学びを経験できるのではないか。しかし、そのような仕組みが、そもそも成り立つものなのか――。
■まず動き、人々の反応を得る
原田氏は独立起業を決意し、行動を始めた。まず、当時参加していた複数の勉強会や交流会で知り合ったビジネスパーソンたちに、この仕組みのアイデアを話してみた。
すると「面白い」「そんな仕組みがあるといい」と、好意的な反応が少なからず返ってきた。「企業は研修の目的で、海外や子会社に人材を送ることがある」「とはいえ、まったく関係のない他社に社員を送るというのは、ありそうでない」といったコメントもあった。
「ならば、どのような組み合わせならこの仕組みは成り立つのかを考えてみよう」。行動しさまざまな反応を得るなかで、原田氏は何を考えればよいかを絞り込んでいく。大ざっぱな最初の着想をどう具体化していけばいいかという道筋が、絶えず行動し続けたことによって、少しずつ見えていった。
■2000人以上と名刺交換し、参加を募った
当時、日本の多くの大企業では、リーマンショック後の新たな成長の機会を模索するなか、「イノベーション創出」や「オープン・イノベーション」のかけ声がかかるようになっていた。しかし多くの企業で、イノベーションをリードする実践知をもった中堅以下の社員は不足していた。
このような状況のもと、原田氏は2015年にローンディールを創業。2000人以上と名刺を交換し、「レンタル移籍」の原型となるプログラムへの参加を呼びかけた。そうするうちに「トライアルしてみてもいいよ」という企業に出会い、「レンタル移籍」の試行が始まった。
幸いなことに移籍先のベンチャー企業は、原田氏のネットワークのなかですぐ見つかった。ベンチャー企業にレンタル移籍した人材がどれだけ活躍するか、ワクワク感のある新たな学びをどれだけ体験するか、そして移籍元の企業にどれだけ貢献するかは、原田氏自身にとっても当時は未知数だった。
だがすべては見えていなくても、行動することで未来の扉が開かれていくことがあることを、原田氏はそれまでの経験から知っていた。
最初の試行に参加してくれた企業では、結局「レンタル移籍」が定着することはなかった。だが、その後NTT西日本をはじめとする大企業による導入や継続的な活用が進むなかで、レンタル移籍が生む価値はより深く言語化され、問題が生じやすいポイントやそこへの介在方法などのノウハウも蓄積されていった。
■「レンタル移籍」から派生したプログラムも
原田氏はエフェクチュアルに行動を進めることで、未知だった問題への解を、経験を通じて獲得していった。移籍先はベンチャー企業であればどこでもよいわけではないこと、移籍する人にとっての目的、すなわち「移籍先で何をしたいか」「何を学びたいか」が事前に明確になっていないと効果は低くなること、移籍開始後も移籍者、移籍元、移籍先との連絡を絶やさないようにすべきこと、そして移籍者が元の企業に戻った後に起きやすい葛藤やジレンマにも対処する必要があること――。
行動するなかで見えてきたこれらの問題に一つひとつ対処していった結果として、多くの企業や人々に支持される現在の「レンタル移籍」の仕組みはある。その経験から派生したより短期間のプログラムやワークショップなども、ローンディールは提供している。
何がイノベーションを実現するための有効な要因となるか、事前に予測することは難しい。エフェクチュエーションとは、そうした予測不能な問題への一つの対処法である。そして、このエフェクチュエーションの実践的な学びを促進するローンディールの「レンタル移籍」もまたひとつのイノベーションであり、そのプログラムはまさにエフェクチュアルな行動を通じてできあがったものである。

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栗木 契(くりき・けい)

神戸大学大学院経営学研究科教授

1966年、米・フィラデルフィア生まれ。97年神戸大学大学院経営学研究科博士課程修了。博士(商学)。2012年より神戸大学大学院経営学研究科教授。専門はマーケティング戦略。著書に『明日は、ビジョンで拓かれる』『マーケティング・リフレーミング』(ともに共編著)、『マーケティング・コンセプトを問い直す』などがある。

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(神戸大学大学院経営学研究科教授 栗木 契)
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