■計算高い男には見えない「松永久秀」
NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」5月24日の第20回は、秀吉(池松壮亮)が小一郎(仲野太賀)と共に、再び裏切った松永久秀(竹中直人)との談判に臨むストーリーで展開する。
松永久秀といえば、戦国時代でも随一の裏切り者。戦国時代を舞台にしたフィクションで、久秀は登場したら、漏れなく裏切るのが定番だ。そうしたフィクションのおかげか、久秀が腹黒く計算高い男だと疑う人は少ない。
でも、おかしい。そんなに腹黒く計算高い男なら、なんで、あの段階で裏切ったのだろうか? いよいよ天下は信長に決まりかけているのに裏切るなんて、自分から全滅エンドを選択しているようにしかみえないではないか?
老いた久秀に「今こそ、裏切りのチャンス」と決断させた要因は、なんだったのか?
史実に基づけば、久秀は1577年8月に本願寺攻めから離脱。信貴山城に立て籠もって信長に対決する姿勢を明確にしている。『信長公記』では、この一連の顛末を、かなり詳しく記録している。
8月17日、謀反を企て、取出を引き払ひ、大和の内信貴の城へ盾籠る。何篇の子細候や、存分申し上げ候て、望みをおおせつけられるべきの趣、宮内卿法印を以て御尋ねなされ候へども、逆臣を挿み候の間、罷り出でず……(『戦国史料叢書』第2 人物往来社、1965年)
■信長は激怒ではなく、動揺していたか
この記述に基づくと、久秀は石山本願寺の包囲軍として天王寺に配置されていたにもかかわらず、突然陣を引き払って信貴山城に立て籠もったということがわかる。
この行動は信長も予期していなかった……というよりも「なんで、突然そんなことをするのか、わけがわからない」という状況だった。すぐに使者を派遣して、事の次第を問い「要求はなんなんだ? あるなら言え、叶えてやる」とやっているあたり、信長は裏切りに激怒しているどころか、動揺していたことが見て取れる。
つまり、信長にとっても「久秀のじいさん、何考えてるか、まーったくわからない??」という状況だったのである。
この「なんで、今裏切るんだよ」という困惑は、家臣たちにも伝播していたようだ。
結局、使者を派遣しても事態は解決しない。戦国時代のならいに従って、人質として預かっていた久秀の子弟二人を処刑することが決まった。
ここで『信長公記』が記す描写が胸に刺さる。この二人、12歳と13歳で「姿・形・心も、ゆうにやさしき者どもに候」容姿も心根も優れた少年たちだったというのだ。久秀の人質でありながら、殺すには忍びないと周囲が感じるほどの子供たちだった。
■京都中に広まっていた“衝撃”
そこで村井貞勝は二人に助命嘆願するよう言い聞かせた。しかし二人は「とても命御たすけはあるまじきものを」と答えた。どうせ助からないのだから、と。
この部分、淡々とした記述を好むメモ魔の太田牛一なのに「感情の滲み」が伝わってくる。それくらいに久秀の裏切りがわけのわからない衝撃的な出来事だったことがわかる。
しかも、このパニックは世間にも伝播していた。処刑当日の様子を『信長公記』は、こう記している。
都鄙の貴賤して、見物仕り候。色をもたがえず、最後おとなしく、西に向ひ、ちいさき手を合せ、二人の者ども、高声に念仏となへ、生害。見る人、肝を消し、聞人も、涙せきあへず、哀れなる有様、中々目もあてられぬ様躰なり。
ここからは、久秀が裏切ったという事件の衝撃が京都中に広がっていたことが見て取れる。
『信長公記』の感情を込めた記述が示すのは、人質の処刑によってその衝撃がさらに拡大していたことだ。
■「都鄙の貴賤して、見物仕り候」
当時の京都の民衆の空気を現代語で再現するなら、こんな感じだろう。
「松永久秀が裏切ったらしいで」「えええ、あの久秀が?」「そりゃあ、また天下が動くわ」「信長も動揺してるらしいしなあ」「どっちにしても、長くないんちゃう?」
SNSどころか新聞もない時代に、この話題が京都中に広がり、貴族から庶民まで全員が処刑を見物しに来た。
つまり久秀の賭けは、荒唐無稽な博打ではなかった。当時の京都の人々も「天下は、まだ信長とは限らない」「もう一波乱あるな、これは」となるくらいに、勝てる可能性があるものだったのだ。
信長は理解できなかったが、確かに久秀に勝機はあった。
1577年時点の畿内周辺を整理してみよう。
信長包囲網の主要メンバーはすでにほぼ壊滅している。最大の脅威だった武田信玄は1573年に病死。浅井長政・朝倉義景も同年滅亡し、信長の背後を脅かす勢力は消えた。将軍・足利義昭は1573年に京都を追放され、室町幕府は事実上の終焉を迎えていた。つまり、残る強敵は石山本願寺だけであった。しかもこの時点の本願寺は、海上補給路を断たれつつある孤立した状態だった。
■最も裏切りに向かない局面だが…
だから、信長の視点に立てば、包囲網という包囲網がことごとく崩れ、あとは本願寺一つを片付ければ畿内は完全制圧という局面である。おまけに西の強敵である毛利氏も次第に勢力を削がれている状況だ。この年、信長は信忠に家督を譲っているわけで「まあ、まだ山はいくつかあるけど、畿内は掌握したなあ……」という状況である。そこに久秀が突然「実は、俺も敵なんだ」と言い出したわけだ。
状況だけみると、久秀は見事な腹黒い裏切り者だ。
マンガによく登場する、ようやくラスボスを倒したあたりでいきなり主人公の後ろから、とんでもない魔法とかで攻撃を加えてくるヤツ。そして、突然の裏切りに驚く主人公たちに「最初から、そのつもりだった」とかいいだすダークヒーローである。
しかし、信長から見れば、久秀が圧倒的に不利な状況で裏切っているようにしか見えなかった。
信長の視点に立てば情勢は、こう見える。包囲網は崩壊した。本願寺は孤立している。
■謙信の動きが、久秀にとっては“チャンス”
しかし久秀の情勢分析はまったく違った。
多くの勢力の中で揉まれ、三好政権の興亡を間近で見てきた久秀には、信長には見えていないものが見えていた。生き残りを狙うために裏切るなら、むしろ今しかないという合理的な判断が、確かにあったのだ。
その根拠は北陸にあった。
1577年9月、上杉謙信が手取川で織田軍を破っている。久秀が信貴山城に籠もったのは同じ1577年8月である。謙信が手取川に向けて動き出したまさにそのタイミングだ。
この謙信の動きこそが、久秀にとってのチャンスであった。地図を見てみるとよく理解できる。
謙信の本拠・越後から京都を目指すルートは、北陸道を西進して近江に入り、そこから南下して畿内に至るものだ。
■久秀には“包囲網の完成”が見えていたか
一方、石山本願寺は大阪湾に面した摂津にある。信長はこの本願寺を海上から封鎖しようとしていたが、封鎖網が次第に厳重になっていたとはいえ、いまだ本願寺の勢力は強い。しかもその南の紀伊へと至るエリアは、独立心の強い反信長勢力が跋扈する土地である。
そして久秀の本拠・信貴山城は大和にある。京都の真南、大和盆地の北西端に位置する山城だ。その南の山々は、反信長というより、そもそも中央政権に従うことをよしとしない勢力が根強い。
この三点を重ね合わせると、久秀が描いていたであろう絵が見えてくる。
北から謙信が琵琶湖を越えて押し下りてくる。西から本願寺が摂津で信長の足を引っ張る。南から久秀が信貴山城を拠点に大和を押さえている。こうなると、完全に信長が京都に包囲されることになる。これは、いわば南北朝時代から繰り返されてきた京都攻略の定石といえるだろう。
長年、諸勢力の攻防を見てきた久秀にとって謙信と対立すれば、信長にも勝ち目はないと映ったはずだ。謙信が最終的に勝利するという確信があったわけではない。ただ、盤石になりそうな気配をみせていた信長も、これで一度瓦解するとは考えていたハズだ。
そうなると、重要なのは自分と一族が最重要プレイヤーとして各勢力から利益を得ることである。そのために「裏切るなら今が絶妙なタイミング」という判断があったのだろう。
■久秀の“3つの誤算”
しかし、これは久秀の誤算であった。その誤算は大きく3つにわけられる。
1つ目は、信長が思ったほど動揺しなかったことだ。久秀の計算では、謙信の南下という外圧が信長を揺さぶり、久秀の離反がその動揺に追い打ちをかけるはずだった。しかし信長は使者を送りながらも、迅速に軍を動かした。包囲網が崩壊し、本願寺が孤立しつつあるこの局面で、信長の組織としての地力は久秀の想定を超えていた。
2つ目は、その信長が全力で信貴山城に攻めてきたことだ。久秀としては「謙信が来るまで籠城して時間を稼げばいい」という算段だったはずだ。信貴山城は大和盆地を見下ろす山城で、籠城戦には向いている。しかし信長は本願寺を抱えたまま、久秀討伐に主力を向けた。「多方面同時も辞さない」という信長の決断は、久秀の想定外だった。
そして3つ目の誤算は決定的だった。謙信が思ったように動かなかったのだ。
そう、手取川の戦いで勝利した謙信は、そのまま悠々と気持ちよく引き上げてしまったのだ。久秀の計算には「謙信が勝ったら南下を続ける」という前提があった。しかし謙信にとって、勝ったら帰るのは当然の話だった。義のために戦い、勝ったら満足して帰る。次にいつ動くかは、その時の気分次第だ。
久秀は「合理的な同盟者」として謙信を計算に入れていた。しかし謙信は同盟の論理で動く男ではなかった。
■“謙信への呆れ”があったのではないか
こうして、10月、信忠を総大将とする約10万とも伝えられる攻撃により信貴山城は落城した。
久秀の最期を想像するなら、無念というより嘆息に近かったのではないか。策が外れた悔しさでも、信長への恨みでもなく、ただ一人の男への呆れがあったのではないか。
「ほんまに、とんでもないヤツがおったな……」
皮肉なことに、その頃、久秀が謀反の発端を作った手取川の戦いで無断離脱した男……羽柴秀吉は、信長に死罪を申し渡されながらも、松永久秀という「もっと大きな問題」のおかげで命拾いしていた。
結局、運も天下には重要な要素だったのか……。
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昼間 たかし(ひるま・たかし)
ルポライター
1975年岡山県生まれ。岡山県立金川高等学校・立正大学文学部史学科卒業。東京大学大学院情報学環教育部修了。知られざる文化や市井の人々の姿を描くため各地を旅しながら取材を続けている。著書に『コミックばかり読まないで』(イースト・プレス)『おもしろ県民論 岡山はすごいんじゃ!』(マイクロマガジン社)などがある。
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(ルポライター 昼間 たかし)

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